あこがれ 川上未映子著幼き日、世界の謎と秘密への思い

思い出してみよう。子供の頃、世界は今よりもずっと広く、大きく、謎と秘密に満ちていた。まだ自分の知らないことと、決して知ることができないことと、知ってはならないことの区別もついていなかった。大人になるということは、その区別がつけられるようになることであり、世界から、謎を、秘密を、神秘を、未知を、つまり、あこがれを減じていくことでもある。

(新潮社・1500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

二つのエピソードから成る長篇(へん)小説である。最初の「ミス・アイスサンドイッチ」の語り手は「ぼく」。後の「苺(いちご)ジャムから苺をひけば」の語り手は「わたし」。「ぼく」は「わたし」を「ヘガティー」と呼ぶ。「わたし」は「ぼく」を「麦くん」と呼ぶ。一つ目の物語で二人は小学四年生、二つ目には六年生になっている。でも、ふたりは、まだまだ子供だ。ヘガティーというあだ名は、彼女のおならが紅茶の香りがしたということから麦くんがつけた。二人の内緒の合言葉は「アルパチーノ」。ヘガティーの家で観(み)たアクション映画に出ていた俳優の名前。なんだか可笑(おか)しな発音で、口に出すだけで愉(たの)しくなる。

ミス・アイスサンドイッチも、「ぼく」が勝手に呼んでいるだけで、彼女は近所のスーパーのサンドイッチ売り場のレジにいるのだが、アイスというのは、彼女の瞼(まぶた)が「いつもおんなじ水色がべったりと塗られていて、それは去年の夏からずっと家の冷蔵庫に入っていて誰も食べなかったかちかちのアイスキャンディーの色にそっくり」であるからだ。「ぼく」は彼女に名状しがたい感情を抱いているのだが、それはもちろん恋とは呼べない。慕情という言葉も固過ぎる。そう、あこがれ。「ぼく」は自分以外の人たちの目に、ミス・アイスサンドイッチがどう映っているのかを知り混乱する。ヘガティーはそんな彼に、彼女に話しかけるべきだ、と言う。

二年後、「わたし」は母親を早くに亡くし、映画評論家の父親と二人で暮らしているのだが、ある日インターネットで、父が自分の母以前に別の女性と結婚し、女の子が産まれていたことを知る。「わたし」は事実を隠している父親に不信を抱き、麦くんの助けを借りて、自分と半分血の繋がった「姉」を探し出そうと思い立つ。「わたし」の彼女への想いはとても複雑なものだ。だがこれも、あこがれと呼んでいいのかもしれない。

子供が主人公の小説は沢山(たくさん)ある。しかしここには、この作者にしか紡ぎ出せない清冽(せいれつ)で切実な感情が宿っている。世界に謎と秘密が満ちていた頃へのあこがれを、読者は抱くことになる。

(批評家 佐々木 敦)

[日本経済新聞朝刊2015年11月22日付]

あこがれ

著者:川上 未映子
出版:新潮社
価格:1,620円(税込み)