職業としての小説家 村上春樹著「個人的なこと」と公共性結ぶ

本に出合う読者がまず目にするのは題名だ。読者にとっての想像の出発点であり、読み進める羅針盤ともなる。では本書の題名は?

(スイッチ・パブリッシング・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 それが示すのは村上春樹にとって「小説家であること」が「職業」である(ありうる)ということだ。

「職業としての○○」なる題名でも、空所を埋めるのが例えば「大学教授」なら、経営努力や文科省に追い立てられ、学生の顧客扱いを求められ、学究の徒たる自分を見失うことへの批判の書だろうし、「遠洋漁業」(まだそこにロマンはあるのだろうか)、「商社マン」(『課長 島耕作』的な)等々、空所を補うものは無数にある。埋めて馴染(なじ)まぬものもあって、「職業としての詩人」はほぼ語義矛盾、幻の存在についての本になる(長年、日本で詩人が職業なのは谷川俊太郎だけと言われてきた)。詩人はあくまで存在であり宿痾(しゅくあ)であって、だからこそ徹頭徹尾芸術としてあるはずだ。

では「小説家」はどうか。かつてエンターテインメントの作家たちは「大衆にも理解できるからこそ売れるのだ」と、職業として成立することを半ば蔑みの理由とされた。「文学的」作家たちは、鴎外や漱石のように定職を持つ者はともかく、職業として成立するか怪しい点にこそ芸術であり前衛である根拠があると自負していた。その意味では、世界的ベストセラーを持つ村上春樹は「小説家であること」で暮らしつつもその芸術性を自他共に認める、数少ない「職業としての小説家」だと言える。

結果、本書は題名から想像される「小説家一般」についてより、村上春樹個人のことをもっぱら書いている。「小説を書くとはどんな作業か」「賞をどう思うか」「オリジナリティーとは」等の問いと、「『たとえば』を繰り返す作業」「ショールームのようなもの」「時間の検証に耐えること」といった回答には、どこまでも「個人的な意見ですが」という注意書きがつきまとう。

その意味で、著者自身も後記で書く通り、本書は「一般論があまり好きではない」著者の、ごく個人的な記録に見える。にもかかわらず、あえて一般化された題名をつけ、その上で改めて「個人的なことだ」とわざわざ謙遜する――そのような、公共性と私的領域のあられない結びつけこそが「村上春樹的なもの」なのだ(それが彼の読まれる理由でもある)。だからこそ、読後に私たちは「職業としての村上春樹」をやり続けている著者に、嘆息と共に感心せずにはいられないのだ。

(早稲田大学准教授 市川 真人)

[日本経済新聞朝刊2015年11月8日付]

職業としての小説家 (Switch library)

著者:村上春樹
出版:スイッチパブリッシング
価格:1,944円(税込み)

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