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核の誘惑 中尾麻伊香著 日本社会に醸成された科学の夢

2015/11/2 日本経済新聞 朝刊

 核の問題を論ずるとき、その原点は1895年、レントゲンのX線発見に遡る。これを機にミクロの世界の扉が開かれ、ラジウムなどの放射性元素が発見され、原子の内部構造が解明され、核の存在が突き止められていくわけである。そうした流れの中、ラジウムが放出する熱量が化学反応では説明がつかないほど莫大であることが測定されると、それはまるでエネルギー保存則を破綻させる魔術のように映った。

(勁草書房・3800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 魔術といえば、放射性元素の変換もまた然(しか)りである。化学反応とは異質な過程を通し、自然は錬金術を行っていた。そして、こうした魔術の担い手こそが原子の中心に局在する核であることが判明。そこから、魔術の力を借りてユートピアが生まれるのではないかという幻想が、第2次世界大戦前の日本に醸成されたと本書は指摘する。

 書名にある『核の誘惑』とは、まさにそうしたユートピア志向を表象する寓意(ぐうい)と読み取れる。

 しかし、実際に核を新しいエネルギー源として実用化する技術の確立は、あのアインシュタインですら懐疑的であったほど困難であった。ところが、1938年、ハーンらによりウランの核分裂が発見されたことで事態は急展開をみせる。第2次大戦の最中、アメリカで原爆が製造され、それが広島、長崎に投下されたわけである。

 X線発見からちょうど50年目、核の威力は非人道的な形で誇示されたのである。

 本書はこの50年にわたる放射性元素と核をめぐる研究の歩みをたどりながら、科学、メディア、大衆が渾然(こんぜん)となって日本社会にユートピア幻想を生み出した背景をみごとに浮き彫りにしている。科学論文だけでなく、雑誌、新聞、SFなど多彩な史料を駆使して、核を受容する大衆文化の形成を活写している。

 さらに、唯一の被爆国となりながらも、核が発生させるエネルギーの凄(すご)さを知ってしまったがために、かえって核の平和利用にかける日本人の夢と憧れは増幅されたとする著者の着眼点は鋭い。日本人は戦後になっても、核の誘惑を断ち切ることはできなかったわけである。

 断ち切れなかったところに、東日本大震災で福島の原発事故が起きてしまった。そうなると、平和利用とはいえ、核は制御不能の状態で暴走することの恐ろしさを我々は体験したはずである。それでもまだ原発の再稼働を推し進めるこの国は、果たしていつになったら核の誘惑の呪縛から解放されるのであろうか。

(早稲田大学教授 小山 慶太)

[日本経済新聞朝刊2015年11月1日付]

核の誘惑: 戦前日本の科学文化と「原子力ユートピア」の出現

著者:中尾 麻伊香
出版:勁草書房
価格:4,104円(税込み)

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