服従 ミシェル・ウエルベック著イスラーム政権下の仏の近未来

次回のフランス大統領選は2017年、その次は22年に行われる。本書は次々回の選挙で、イスラーム政党の候補者が勝利して大統領になるという想定のもと、共和国に生じる激変を描いた近未来小説である。フランスの読者は争うようにして読み、大変な話題となった。

(大塚桃訳、河出書房新社・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

イスラーム大統領の誕生を可能にするのは、極右政党の躍進だ。極右が権力を握るよりはましだと、穏健なイスラーム政党の候補者に票が集まる。

極右とされる国民戦線の勢いに既成政党がたじたじとなっているフランスの現状を踏まえたうえで、作者は大胆にして危険な想像力を発揮している。

穏健とはいえ、大統領はイスラームの教義にもとづく改革を進める。一切の宗教色を排した共和国精神を真っ向から否定する事態である。当然、すさまじい反撥(はんぱつ)や葛藤が描かれるべきところだ。ところが何もかもはあっけないほどスムーズに運び、表立ってデモひとつ起こらない。フランス社会はそこまで覇気を失ってしまったのか。

オイル・マネーの援助を受けて経済は好転し、犯罪件数は大幅に減少。大統領はかつてないほどの高支持率を得る。最大の変化は、女性がヴェールをかぶり、仕事をやめて家庭に入るようになったことだ。おかげで男の就職口が増え、失業者問題も解決してしまう。

どうやらここに、ポリティカル・フィクションの真の眼目がある。主人公は文学専門の大学教員。自らの仕事に意義を見出(みいだ)せず、家庭の幸福にも恵まれず、“中年にして心朽ちたり”という状態だ。こういうルーザーの生態の赤裸々な描写において、ウエルベックの右に出る者はいない。ところが今回は、社会のイスラーム化という事態により、彼にももう一花咲かせるチャンスが巡ってくる。一夫多妻制によって、男たちは思いもよらぬ幸福をつかめるかもしれないからだ。現に、彼の同僚のさえない老教授も、若い女性との良縁を得、すっかり明るい人生を送っているではないか。

というわけでこれは、リアルな凄(すご)みのきいた設定のもと、男にとって何とも都合のいいファンタジーを膨らませようとする不埒(ふらち)な小説なのである。しかもそれが、民主政治の行き詰まり、西欧的個人主義のはらむ矛盾をえぐり出す、シャープな思考に裏打ちされている。皮肉なユーモアもにじませつつ、一筋縄ではいかない作者ならではの狡知(こうち)に満ちた物語を堪能させてくれる。現代文学の傑作といえるだろう。

(仏文学者 野崎 歓)

[日本経済新聞朝刊2015年10月25日付]

服従

著者:ミシェル ウエルベック
出版:河出書房新社
価格:2,592円(税込み)

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