弔いの文化史 川村邦光著古代から、東日本大震災後へ

はじまりに、「とむらふ」という言葉には「訪ふ」と「弔ふ」の二つの意味がある、と著者は書いている。そのかたわらには、「訪ねるとは、弔いに直ちに繋(つな)がっていく」ともあった。

(中公新書・880円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

その一文に触れて、わたしは唐突に、東日本大震災の被災地をひたすら歩き続けた日々を思った。それがまさに、訪ねることがそのままに弔いに繋がる、巡礼のような日々であったことに気づいたのは、いつであったか。ともあれ、これは著者による被災地巡礼の書なのかもしれない、と思った。その予感は半ばは当たり、半ばは外れた。すくなくとも、この書には紀行の色合いはない。

とはいえ、この死者への鎮魂の意味を問いかける本は、著者による真摯な震災への応答の試みではあった。たとえば、鴨長明の『方丈記』について論じた序章などは、始まったばかりの、東日本大震災という「災厄をめぐる未完の歴史」を思いながらの、試論ではなかったか。

起点に置かれたのは、折口信夫の鎮魂論である。古代には、鎮魂という言葉は、死の儀礼(タマシヅメ=魂鎮め)のみならず、生の儀礼(タマフリ=魂振り)とも関わりがあった、という。古代から中世へと、生と死をめぐる心性史の一端がほどかれてゆくが、著者の関心はつねに、生と死とが両義的に交わるあたりに向けられている。源信から蓮如へと、浄土への往生を志向する「生者と死者の共同体」、さらには「弔いの共同体・コミューン」を掘り起こしてゆく数章は、とても魅力的である。

後半もまた、折口が起点となる。折口が「民族史観における他界観念」と題した、1952年の論文のなかに示した、「未完成の霊魂」(「未成霊」)をめぐる議論が手がかりとされる。巫女(みこ)を仲立ちとして死者の声に耳を傾ける口寄せのフォークロアの探究がいつしか、未婚の死者の霊を降ろすハナ(花)寄せに辿(たど)り着く。さらに、東北の、やはり未婚の死者たちの供養のために、絵馬や花嫁・花婿人形を奉納するフォークロアが浮き彫りにされる。いずれも、折口のいう「未成霊」を起点とするものだった。

最終章では、震災後の報道のなかに見られた遺影の問題が取りあげられる。津波に流されながら、瓦礫(がれき)のなかから救出された写真やアルバムが呼び覚ます、ひき裂かれた感覚は、わたし自身も幾度となく体験している。弔いの形は揺らぎのなかにある。それは現在進行形である。東北はいま、新しい弔いや鎮魂のスタイルを求めて足掻(あが)いている。

(福島県立博物館館長 赤坂 憲雄)

[日本経済新聞朝刊2015年10月18日付]

弔いの文化史 - 日本人の鎮魂の形 (中公新書)

著者:川村 邦光
出版:中央公論新社
価格:950円(税込み)

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