私たちは、味をどのように感じているのか。口に入った食べ物の味をキャッチするのは、舌の縁の表面や上顎(軟口蓋)に約1万個ある「味蕾(みらい)」という小さな器官だ。味蕾は甘味、塩味、酸味、苦味、うま味などを感じ、その情報は顔面神経を介して、脳の味覚中枢へと伝わる。
「舌から脳まで味の伝わる経路のどこかに問題が起これば、食べても味がしないなどの症状が出る」と東京歯科大学千葉病院(千葉市)で味覚異常外来を担当する井上孝病院長。患者数は少なくとも20万人以上で「増加傾向にあると考えられる」(同)という。
まず、検査で原因を探る。例えば「ろ紙ディスク法」では、さまざまな濃度の味をしみこませた小さなろ紙を舌に乗せ「舌のどの部位が、どれぐらい味覚を感じるか」を確認する。電気刺激で味覚を感じる舌の神経の反応の強さも調べる。
検査で分かる原因のなかで多いのは、亜鉛不足によって味蕾の代謝と働きが落ちるというものだ。陣内耳鼻咽喉科クリニック(東京都渋谷区)の陣内賢院長は「亜鉛は日本人に不足しがちなミネラル。さらに別の病気治療で服用している医薬品や加工食品などに使われている食品添加物が亜鉛の吸収を阻害することがある」と話す。
ろ紙ディスク法による検査で味覚が著しく低下しており、血液検査で亜鉛が不足している場合は、改善するために、亜鉛を含む医薬品を処方したりサプリメントなどを薦めることもある。
ただ、井上病院長は「亜鉛で多少なりとも症状が良くなるのは、患者の2割程度。味覚異常の原因は、一般に知られている以上に複雑だ」と話す。
例えば、唾液量が少なく、食物の味成分が味蕾まで届かないことも一因になる。加齢に伴い味蕾の働きと唾液の分泌量が低下するので、65歳以上の高齢者の約半数で何らかの味覚異常があるといわれる。また、舌の表面に舌苔(ぜったい)と呼ぶ細菌の固まりがあったり、口内にカンジダなどカビの仲間が感染していたりすると味を感じにくくなることがある。
神経や脳など(中枢神経)の異常も味覚と無関係でない。口の奥は顔面神経が密集しており、「親知らず」の抜歯時や扁桃(へんとう)手術などで味覚に関する神経を傷つけることもある。井上病院長は「亜鉛不足と異なり、舌の一部の領域だけ味覚を感じなくなるのでろ紙ディスク法などで判断がつく」という。よく噛み舌全体で味わうように助言している。
さらに難しいのは、中枢神経が原因の味覚異常の場合だという。脳梗塞などによる脳の味覚野の損傷のほか、「最近では精神的ストレスによる味覚異常も増えている」(井上病院長)。ろ紙ディスク法では味覚を感じているのに、普段の食事の味が分からない、味がおかしいと訴えることが多い。「検査結果を示して安心させるとともに、心療内科などによるアプローチも必要となる」(井上病院長)と話す。
味覚異常が進行すると食という生活の彩りを失ってしまう。味に不安を感じたら早めに医師に相談するとともに、生活改善に取り組むことも大切だ。まずはバランスのよい食事。亜鉛の1日「推奨量」は成人男性で10ミリグラム、女性8ミリグラムだが、ファストフードや加工食品に頼っているとこの量は取りにくい。カキ、牛肉、大豆など亜鉛を含んだ食材を積極的に取り入れることが大切だ。
亜鉛のサプリメントも医師と相談し使用したい。陣内院長は「亜鉛不足で味覚異常が起きるという情報を得て受診する人の多くが既にサプリメントを飲んでいるが、きちんと吸収されていない場合も多いようだ」と話す。精製された穀類はほとんど亜鉛を含まない上、最近では食品添加物が亜鉛不足の原因になることも分かってきた。いたずらにサプリメントの量を増やすよりも、日常の食生活を見直したい。
さらに、食事は楽しくゆっくりと取るようにしよう。井上病院長は「介護施設などで食事前の数分間、高齢者が周囲と楽しく会話するように心がけると、唾液が口の中に回り、おいしく食べられるようになる。食事の量も増える」と話す。
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食品添加物でも亜鉛体外へ
一部の医薬品は、血液中の亜鉛とキレート化合物を作り、尿中への排せつを促して亜鉛不足をもたらす。最近、食品添加物のなかに同様の作用があることが分かってきた。加工食品の食感を改善したり、色や風味を安定させる目的で使われるフィチン酸、ポリリン酸もその一つで、インスタント食品やファストフードなどに使われている。
陣内院長は「味覚が育つ前の子供が加工食品ばかり食べていると、知らず知らずのうちに味覚音痴になり、偏食の原因にもなる」と危惧する。旬の食材を取り入れるなど、一手間かけた料理を食べさせる「味の食育」は、若い世代の味覚障害予防につながる。
(ライター 荒川 直樹)
[日経プラスワン2015年9月19日付]