ネアンデルタール人は私たちと交配した スヴァンテ・ペーボ著古代DNAの研究法確立まで

2015/8/12

生物のからだは、親から子へと伝えられる遺伝情報によって作られる。それはDNAという物質だ。では、DNAはどんな構造をしているのだろう?

(野中香方子訳、文芸春秋・1750円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 ワトソンとクリックがDNAの構造とその複製の仕組みを解明したのが1953年。それから50年後の2003年には、ヒトが持っているDNAのすべてであるヒトゲノムの、おおかたの全容が解明された。遺伝学の進歩はこれほどすさまじい。

 著者は、このDNA研究に画期的な一面を開いた科学者である。どれほど画期的かと言えば、4万年も前に死んだネアンデルタール人の遺伝子配列を読むという偉業を成し遂げたのだ。一般化すれば、彼は、死んでかなりの年月がたっている生物の遺骸からそのDNAを抽出する方法、つまり、古代DNAの研究方法を確立したのである。

 これがどれほど驚異的なことか、すぐにはピンとこないかもしれない。昨今は、DNAを読むという作業は、犯罪の捜査でも、死体の身元確認でも普通に使われている。琥珀(こはく)に閉じこめられた白亜紀の蚊の中に残っていた恐竜のDNAを復元したという触れ込みの、『ジュラシック・パーク』という映画が一世を風靡したのも過去のことだ。

 しかし、騙(だま)されてはいけない。DNAは、生きているときから絶えず損傷を受けている。個体が生きている間は、つねにそれが修復されているが、死んでしまえば修復の過程も終わりになる。あとは壊れていく一方。何千万年も前の恐竜のDNAなど、解明できるわけがないのだ。

 また、ある生物のDNAを読み取ろうとすると、実験者その人など、他の生物のDNAが混じってしまうことがよくある。だから、犯罪捜査におけるDNAの証拠というものも、そのまま鵜呑(うの)みにしてはいけない。

 著者は、かなり古くて壊れているDNAをどうやって意味あるように読み解くか、そして、現代人や細菌のDNAの混入をいかに防ぐか、長い年月をかけてこの2つの難点を克服し、ついにネアンデルタール人のDNAを解明したのである。

 それは、苦難の道であった。何度もぬか喜びし、他者に先を越されたが、彼はやり遂げたのだ。これは、最終的に拍手の物語である。若いころ、エジプトのミイラのDNAを読み取ろうと提案して馬鹿にされて以来の長い道のりだった。こうして何十年もかけて一つの新しい学問領域を作り上げるまでの物語は、企業の先駆者のものと同様、夢と、執着と、負けん気と、リーダーシップの織りなす、興奮に満ちたドラマである。

(総合研究大学院大学教授 長谷川 眞理子)

[日本経済新聞朝刊2015年8月9日付]

ネアンデルタール人は私たちと交配した

著者:スヴァンテ ペーボ
出版:文藝春秋
価格:1,890円(税込み)