モンローが死んだ日 小池真理子著恋愛の苦しみ描くサスペンス

2015/7/6

恋愛小説というのは、愛の歓(よろこ)びよりも愛の苦しみを描くことのほうが多いような気がする。まるで、愛とはとことん苦しみ、悩むことなのだと思い知らせているようにも見えるほどだ。

(毎日新聞出版・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 だが、それでも人は愛することをやめず、性懲りもなく愛の苦しみに身をゆだねていく。しかも年齢は一切関係ない。人は幾つになっても恋愛に足を踏み入れてしまうのだった。

 本書の場合、ヒロインの鏡子は59歳である。軽井沢の隣町に住む彼女は、夫の死後、2匹の猫と一緒に暮らしている。ところが2年ほど前から深い抑鬱状態に陥るようになり、地元のクリニックの精神科を受診する。そこで出会った医師は、週の後半だけ横浜から通ってきていた。年齢は55歳、離婚して今は独り身だという。

 ここから、いわゆる恋愛の結晶化が始まる。鏡子は、やがて医師のことを「生きていれば、いつか必ずどこかで出会うことになっていた相手」とみなすようになり、恋愛の初期には誰もが経験する高揚感に包まれ、幸福な夢に酔い痴(し)れるのだった。

 そんな鏡子の感情の逐一を、作者はこれでもかというぐらい丁寧かつ執拗に描いていく。相手を思う気持ちの昂(たか)ぶり、焦(じ)れったさ、切なさ、やるせなさ、そしてまたそれらに費やす、静謐(せいひつ)で膨大な心のエネルギーの迸(ほとばし)りをだ。すると、毎日ほとんど変化のない生活を送っていた日常の流れが、少しずつ少しずつ変わっていくのである。

 古今東西、老いも若きも、世界中の女たちが例外なく憧れてきた、微笑(ほほえ)ましい夢まぼろしであるラブロマンスに、鏡子は還暦を前にして溺れようとしていたのだった。

 しかし、物語はこれで終わらない。というのも、好きになった医師が、ある日、突然姿を消してしまったのだ。さらには、彼の素性が嘘で塗り固められていたことも判明。ならば、自分が愛した男は一体何者だったのか? さてここから、愛の苦しみが始まっていくのだった。

 恋愛というのは、ある意味で剥(む)き出しの感情のぶつけ合いだろう。喜びも悲しみも分かち合い、つまずき、戸惑い、振り回され、それでも好きな相手に寄り添おうと、健気(けなげ)な努力を積み重ねていくのだ。だからこそ、その梯子(はしご)がいきなり外れてしまったときには、反動となる凄(すさ)まじい動揺が訪れる。だが、鏡子が味わうことになる苦痛は、尋常なものではなかった。

 まさしくこれは、恋愛の深淵に迫ろうとする濃密な心理のサスペンスでもある。

(文芸評論家 関口 苑生)

[日本経済新聞朝刊2015年7月5日付]

モンローが死んだ日

著者:小池 真理子
出版:毎日新聞出版
価格:1,944円(税込み)

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