ミートボール、マッシュポテト、クランベリーソースのステーキ……。フィンランドでの1カ月間に及ぶロケで、現場のまかないはいつもビュッフェスタイルの地元の料理だった。出演者とスタッフが一緒にテーブルを囲む和やかなひととき。「夏といっても朝晩は寒いくらいなので、温かい料理を毎回食べられるのはうれしかったですね」。映画「かもめ食堂」を撮ったヘルシンキの思い出だ。
キッチンでの演技 リズム感が鍵
異国の街で風変わりな食堂をひとり営む日本人女性、サチエ役。好きなことにのんびり、でも手を抜かずしっかりと向き合う――。そんな、何気ないようでいて実は得がたい女性の生き方を、透き通った北欧の日差しや落ちついた街なみとともに丁寧に描いたこの作品は、フィンランドブームの先駆けにもなった。
劇中の食堂は梅干し、シャケ、おかかのおにぎりが売り物との設定で、スクリーンには日本人にはなじみ深いメニューが多く登場する。使いやすく、居心地の良さそうなオープンキッチンで、サチエはシャケを焼き、たっぷりの油でとんかつを揚げ、しょうが焼きの火加減を調節し、おにぎりをにぎる。そんな場面は映画の醍醐味のひとつだ。
キッチンでの演技で心がけたのはリズム感だ。エプロン姿でてきぱきとこまめに動かす手元には迷いがない。「もたもたしているとおいしそうに見えないですから」。特に練習をしたわけではない。「ま、長いこと生きていればあれくらいは、ね」
今も昔も、興味が向くのは食べ物の味
小さな頃から食いしん坊だった。ぐずっていても、食べ物を与えられると泣きやむ。「大食い」だったわけではない。興味が向くのは食べ物の味だ。何か食べている人を見ると近寄っていき「ぴっと(ちょっと)頂戴」。ねだっては何でも味見した。そんな性分は長じても変わらない。
10代半ばで始めた女優の仕事は旅が多い。出かけた先ではその土地の名物、独特な料理を必ず試した。クマの手、ヤギの脳みそ、カエルの脚……。昆虫以外はまったく苦にならない。
10代終わりから20代に掛けては世間も景気が良く、海外での仕事がたくさんあった。テレビの収録で中国の奥地に赴き、少数民族がもてなす象の鼻の料理を食べたこともある。「非常にゼラチン質で、味より食感を楽しむものでした」
デビューから三十数年。最近は家庭的な献立が記憶に残るようになった。今年、ドラマの収録で出かけた山形県の寒河江。根菜や油揚げを刻み、肉じゃがのような味付けでトロッと煮込んだおかずが宿の朝ご飯に並んだ。いわゆる旅館の朝ご飯とは違う。旅先で触れる「地元のおばちゃん」の素朴な味はありがたい。
そんな素直な気持ちを手繰れば、好物だった母の手料理、鶏の混ぜご飯に行き着く。鶏肉、ニンジン、ゴボウ、しいたけ、油揚げなどを甘辛く煮て、炊きたての白いごはんに混ぜる。秋田県出身の母の味付けはこっくりと甘めで箸が進む。
何より食材を一つ一つ細かく切って、下ゆでしてアクを抜いて、という手間に思いが至るようになった。「ぜいたくだったんだと思いますね、ふだん何気なくもりもり食べていたけど」。世界を食べ歩いた後にたどり着いた境地。作り方を聞いてみるつもりだ。
「かもめ食堂」オーナーの料理で現場に活気
「かもめ食堂」のまかないには秘話がある。撮影セットに借りたのは、ヘルシンキに実在したレストラン「カハヴィラ スオミ」。実は、共演者やスタッフと食べたビュッフェはみな、店の奥、映画には登場しない本物の厨房でつくった、店主夫妻手ずからの料理だ。
すでに店は人手に渡っているが、単なるケータリングではない手料理が現場に活気をもたらしたのは間違いない。夫妻がつくるベリーなどフルーツを使ったソースも意外に口に合った。「帰国後もお肉に果物のソースいいかも、なぁんてやっていましたね。ハイ」
フィンランドの食との縁は今も続いている。たとえばフィンランド人がこよなく愛するというキノコ「スッピロバハベロ」。見た目はエノキとシメジの中間のようで、森でどっさり収穫して干しキノコにする。現地に暮らす友人が里帰りの際に持ち帰ってくれるこのキノコで、パスタ、リゾットをつくるのはオフタイムのひそかな楽しみだ。
仕事でも今年、フィンランド出身の女性画家、ヘレン・シャルフベックの展覧会で音声ガイドを担当。6月からの東京を皮切りに全国4カ所で開かれる催しで、画家が残した言葉を朗読している。声だけの仕事はほぼ初めて。フィンランドが導いた新たな領域だ。
「かもめ食堂」の公開から9年。同じ制作チームで生み出した「めがね」(07年)などの作品では、地に足を付けて一歩ずつ前に進む女性を演じてピカイチの存在感を放つ。でも力みはない。「ワタシ自身はもっとふざけてるし、テキトーだし。(役柄を)いいなー、と思いながら演じています。自分の役割はそういうことなのかな、と」(天野賢一)
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大学のお昼は米屋のおにぎり
社会人入学した4年制大学を今春卒業した。昼食用におにぎりをよく買ったのが、東京・碑文谷にある「飯塚精米店」(電話03・3712・7281)。コメにこだわる「お米屋さんのおにぎり」には3代にわたる地元の常連もいる。
よく購入したのは、すじこ(税込み150円)。「まったりした感じが好き。具の食感もしっかりしてて」。1日に300~400個をにぎる飯塚豊司さん(85)は「シャケもお好きです」。犬の散歩途中に寄ったり、舞台出演時には差し入れを買い込んだりも。
新潟産の無農薬米と、冷めてもポロポロにならない独自ブレンド米「おにぎりくん」の2種類を毎日炊く。具は常時二十数種類。海産物は築地市場で仕入れる。からあげなど変わり種もあって飽きさせない。常連客には妻のコウさん手製のぬか漬けがつくことも。
[日経プラスワン2015年5月30日付]