春雷 葉室麟著 鬼の顔に仏の心隠した為政者像

2015/4/27付 日本経済新聞 朝刊

 葉室麟は、九州にある架空の藩・羽根藩を舞台に、直木賞を受賞した『蜩ノ記』と『潮鳴り』を発表している。羽根藩シリーズの第3弾となる『春雷』は、転落したエリートの生きざまを描いた前2作とは異なり、浪人から藩の重役に抜擢(ばってき)された多聞隼人を主人公にしている。

(祥伝社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 羽根藩の藩主は、質素倹約に励み、藩校に高名な学者を招くなど名君として名高い三浦兼清だが、莫大な借金は返済できていない。財政再建を任された隼人は、農民から年貢を搾り取り逆らう者は入牢(にゅうろう)させる痛みを伴う改革を断行したため、鬼隼人と呼ばれるほど恨まれていた。

 隼人は、兼清から何度も失敗している黒菱沼を干拓し、新田を作ることを命じられる。難工事を成功させるため、隼人は、干拓の名手ながら、その事業で私腹を肥やすため「人食い」の異名を持つ大庄屋の佐野七右衛門、凄(すご)腕の技術者ながら、酒乱で人を斬り投獄された「大蛇(おろち)」こと千々岩臥雲を招集する。

 藩士たちが藩政を壟断(ろうだん)する隼人に反発し、工事に動員された農民が一揆を計画する中で、黒菱沼の干拓が始まる。その頃から、仁政とはほど遠い隼人を排除しようと、儒者の白木立斎が暗殺者を送り込み、黒菱沼の周辺に広大な土地を持つ博多の商人・播磨屋も策動を始める。さらに一揆が農民の意思で進められているのではないことも判明するなど、隼人の周辺では二重三重に謀略の糸が張りめぐらされていることが分かってくる。

 これに、欅(けやき)屋敷で親を亡くした子供たちを育てている女性・楓と隼人の関係、隼人が羽根藩に召し抱えられた理由といった謎もからむので、圧倒的なサスペンスが満喫できるのである。

 やがて、鬼隼人、人食い七右衛門、大蛇臥雲の三悪人が、他人に謗(そし)られるのを覚悟して、常識的な手段では成し得ない“未来への希望”を残そうとしている事実が浮かび上がってくる。

 著者は、“庶民のため”という美辞麗句を並べながら、具体的な政策を示さない立斎や藩の重臣と、金も名誉も、真意を理解されることも求めず、ひたすら己の信じる正義を貫こうとする隼人たちを対比することで、清洌(せいれつ)な生きざまとは何か、真の悪とは何かを問い掛けている。

 それだけに、隼人が命をかけて、心に秘めた大願を成就させるため大勢の敵と戦うクライマックスには、深い感動がある。

 現代の日本も多くの負債を抱えているが、政治家は空疎な甘言を弄すだけである。それとは逆に、鬼の顔に仏の心を隠した隼人は、理想の為政者像を示しているように思えてならない。

(文芸評論家 末國 善己)

[日本経済新聞朝刊2015年4月26日付]

春雷

著者:葉室麟
出版:祥伝社
価格:1,728円(税込み)

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