ライフコラム

エコノ探偵団

教育費は投資になる?

2015/4/1 日本経済新聞 朝刊

「子どもの教育費が大変。お金をかける価値があるかしら」。買い物帰りに事務所に寄った近所の主婦がため息をついた。「教育費が高くても後で利益があれば“投資”と考えられるけれど、どうかな」と、探偵、深津明日香は調査に出かけた。

■進学、子供に見返り大きく

まず親が負担する教育費を調べた。文部科学省と日本政策金融公庫の調査をもとに、子ども1人を幼稚園から大学まで進学させる費用の総額を計算すると、すべて国公立なら約1千万円で、すべて私立だと約2400万円だ。

「今の親は教育費が昔より大変です」というのは、フィデリティ退職・投資教育研究所所長の野尻哲史さん(55)。2013年に子どもを産んだ母親の27%は35歳以上。「子どもが大学在学中に定年を迎え、自分の親は要介護の可能性が高くなる。住宅購入費も必要で、学費をどこから出せばいいやら」と腕を組む。

「でも将来は子どもに頼れますよね」と明日香が言うと野尻さんは首を振った。「退職者8千人に聞いたところ、老後を子どもに頼ると答えた人はわずか1%未満です」

「では教育費は親にとって無駄な支出?」と、明日香が聞くと、野尻さんは「いや、3人の子を大学に進学させましたが後悔していませんよ。教育は家族への投資です」。

どういうことか詳しく聞くため、明日香は広島大学准教授の島一則さん(44)に電話した。「大卒の男性は高卒より生涯賃金が7千万円ほど上がります。この賃金差が収益です。大学の学費と4年間に稼げなかった収入を投資資金と考えて計算すると、収益率は7%前後です」(島さん)

島さんは「不況が長引いた中で、大学に進学しないリスクが大きくなりました」という。大学進学の収益率は1970年代に下がり、80年代に停滞したものの90年代後半から再び上昇。「不況下で大卒より高卒の平均賃金が大きく下がったためです」と、島さんはみる。

そこへ政策研究大学院大学准教授の田中隆一さん(42)がやってきて「教育を受ける利益は本人だけでなく周囲にも及びます」。大卒者が多い都市は平均賃金が高い傾向があり、賃金の上がり方は大卒より中高卒のほうが大きいという。「大卒者が多い都市では仕事がたくさん生み出され人材の需要が増えるためと考えられます」(田中さん)

「教育水準を高めれば、国にも利益があるのかな」と考えた明日香は、桜美林大学教授の矢野真和さん(70)を訪ねた。「大学在学中は税金を払わないが、卒業後に高収入になれば納める税金も増えます。税収増分が政府の利益と考えられます」と、矢野さん。在学中に納めなかった税金と大学への公的支出を政府が投資した資金だと考えると、収益率は国立大で2%強。国の支出が少ない私立大では10%弱になると計算する。

「個人の収益率と政府の収益率を合わせると、社会全体の収益率が計算できます」と、矢野さん。国立大は6%、私立大は7%弱だという。

明日香は「優秀な人が大学に行くから大卒の賃金が高いのでは?」と感じた。だが矢野さんは「中学時の成績にかかわらず高校・大学と進学すると賃金が上がります。能力より高等教育を受けたかどうかが賃金に影響します」。

「なぜ大卒賃金が高いのかしら」。明日香は人材紹介を手掛けるエン・ジャパンに向かった。中途採用支援事業部副事業部長の菊池篤也さん(40)は「ビジネスでは論理的表現力や主体的にものを考える力が必要。大学でこうした力が鍛えられ、企業に役立つ人材となるからです」。サークル活動やアルバイト経験でコミュニケーション能力が高まることも重要とみる。

■高収入への道、国は税収増

明日香のスマホに桜美林大の矢野さんからメールが届いた。「調査したところ、大学で調べものや読書の習慣が身につくと、卒業後も学ぶ姿勢ができ、新しいことを身につけやすいことが賃金上昇に関係するようです」

「大学院に行けば投資効果が高まるかな」と、明日香は経済産業研究所副所長の森川正之さん(55)を訪ねた。森川さんは「大学院卒は大卒より生涯賃金が30%上がり、収益率は平均10~20%と試算できます」。高等教育の水準が上がれば専門的で収益性が高い仕事ができるので、欧米では大学院進学の経済効果が注目されているという。

大学院を卒業した人は女性や高齢者の労働参加率が高い。「人生で稼げる期間が延びれば個人の収益率も高まり、国富への貢献度も上がります」と、森川さん。ただ「研究対象となった人の7割ほどが理系で、多くが院進学が珍しい世代であることは見落とせません」と付け加えた。

「大学院に進学すればいいわけでもなさそうね」と明日香が考え込むと、エン・ジャパンの菊池さんがやってきた。「20代に社会人経験を積むのは大変重要です」。大学で学んだ内容が直接仕事に役立つことは少ない。また論理的思考力や問題解決力は仕事の現場で鍛えられる部分も大きい。「35歳までに社会でどんな経験を積んだかで、35歳以降に転職できるかどうかに差がつきます」とみる。

明日香の報告書を読んだ所長は「君には親も国も多額の投資をしているのだから、そろそろ成果を発揮してもらいたいな」と一言。

◇            ◇

■投資効果も考える必要

文科省によると大学・短大進学率(現役)は2014年度、53.9%。4年制私大のほぼ2校に1校で入学者が定員割れとの調査もある。だが政策研究大学院大准教授の田中隆一さんは「日本の大学進学率が他の先進国と比べて高いとは言えない」。

ただ、田中さんは「大学進学率を高めればいいわけではない」と指摘する。成長をけん引する産業構造が変わると、高等教育に求められる内容も変わる。高度成長期は重工業中心の経済成長で、平均的に質が高い人材が必要だった。技術革新が求められる現在は「平均を高めるだけでなく、一部でも突出して優秀な人材を育てる高等教育も必要だ」と、田中さん。

日本生産性本部主幹研究員の木内康裕さん(42)は「大学教育と企業の求めるもののギャップが大きい」。入社してからの教育訓練が“粒ぞろい”の人材育成につながっていたが、不況で企業の教育訓練投資が削られ「かつてのように企業が人材を育てて日本全体の生産性を上げるのが難しい」(木内さん)。

日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で教育への公的支出が少なく、高等教育の家計負担割合が重いが「公的支出を増やすだけでなく、人口が減少する中、投資効果を考えて成長につながる人材育成を目指すべきだ」と、木内さんは話す。

(編集委員 大賀智子)

[日本経済新聞朝刊2015年3月31日付]

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