ライフコラム

エコノ探偵団

早朝勤務なぜ広がる 残業減のほか思わぬ経済効果も

2015/3/25 日本経済新聞 朝刊

「最近、早朝勤務をする人が増えているそうですよ」。事務所に立ち寄った女子学生が先輩から聞いた話を紹介すると、探偵、松田章司が反応した。「早朝勤務を推奨する会社が多くなったとも聞きますね。さらに広がるのか調べましょう」

■夜の残業減り 能率アップ

最初に向かったのは伊藤忠商事の東京本社(東京都港区)。同社は昨年5月、午後8時以降の残業を原則、禁止した。午前5時から9時まで(8時以降は始業時刻の条件付き)は深夜勤務と同様の割増賃金で、早朝勤務を促している。

同社食料カンパニーの小山真司さん(36)は東南アジアからの輸入業務が担当。午前7時30分までに出社し、午後8時までの退社を前提に、価格や数量の交渉をまとめている。「早朝は頭がすっきりして疲労感がなく、仕事に集中しやすいです。体調が良い人が多いためか、打ち合わせの効率も上がります。帰宅時刻を決め、それまでに仕事を終わらせるようになったので、残業時間は減りました」

労働問題に詳しい日本総合研究所調査部長の山田久さん(51)に意義を尋ねた。「朝の残業なら終了時間を区切れるので夜間より効率が良いでしょう。全体で残業時間が減っているのはよい傾向です」と評価した。

次の訪問先、インターネット広告のオプト(東京都千代田区)に到着すると、早朝勤務の常連だという畠山純さん(27)、二宮和美さん(27)、加藤友史郎さん(24)が待っていた。同社は夜間の残業を減らす狙いもあり、早朝勤務を推奨中。早朝出社した社員には午前8時45分に、おにぎりやシリアル食品を無料で提供している。ネット業界では深夜勤務が多いイメージがあるが、「働く時間は自分で選ぶ」が会社の方針だ。

「早朝に取引先にメールを打ち、相手の反応を待つ余裕ができました」と畠山さん。二宮さんも「早朝は取引先からの電話が少なく、周囲が静かなので仕事の効率が上がります」と早朝勤務の効用を実感している様子だ。

「朝食が用意されているのはいいな。仕事の効率とも関係するのかな」と章司。新幹線に乗り、脳の働きと朝食の関係を研究している東北大学加齢医学研究所(仙台市)に野内類さん(34)を訪ねた。「規則正しく起床し、朝食をしっかり取ると脳の働きが活発になり、仕事や勉強の能率が上がることがわかっています」と解説を始めた。磁気共鳴画像装置(MRI)を使った実験では、朝食を取った人は、1時間のうちに脳の前頭葉が活発に動き出し、課題への正解率が上昇するという。

朝食と切り離した早朝勤務だけの実験はしていないが、同研究所がビジネスパーソンを対象にしたアンケート調査では「自分は第1志望の道に進んでいる」とみる人は、午前中の時間帯を有効に活用していると回答する割合が高かった。「脳の働きを妨げるのは疲労やストレス。夜間残業の効率が悪いのは当然です」

■長時間労働の改革は途上

「早朝勤務はもっと広がりそうです」。東京に戻って報告する章司に「夜間と同様に早朝勤務も減らせないのか」と所長は再調査を命じた。

「夜も朝も残業はしない方がいいですが、仕事の量が減らないとゼロにはできません」。行動経済学が専門の京大教授、依田高典さん(49)に電話で話を聞くと、最近の学説に従って、残業が発生するメカニズムを説明した。

依田さんによると、個人は記憶や認知などの「処理能力」、所得、時間の3つの制約条件のもとで自分の満足度(効用)を最大にするように行動する。就業時間という「時間制約」のもとで、締め切りがある仕事をこなしきれないと、残業して間に合わせる。この間、目の前の仕事に意識がとらわれ、多大なエネルギーを使う。残業を繰り返すうちに、ガス欠を起こして全体に仕事の「処理能力」が落ち、残業しても追いつかなくなる。余暇や睡眠などの時間も奪われ、結局は効用を最大にできなくなる。

「夜間残業はこうした悪循環に陥りがちです。消費を手持ち資金の範囲内に収められず、多額の借金をする人の行動にも似ています。結局は返済不能になり、効用が下がります。残業せざるを得ないのなら終了時刻が明確で処理能力が落ちていない早朝の方がベターです。夕刻以降の余暇が増え、生活が豊かになって満足度を高められる人もいるでしょう」と依田さんは早朝勤務に理解を示す。

「日本人は仕事量が多すぎるのかな」と表情を曇らせる章司。山田久さんの顔を思い出し、再び連絡を取った。「多くの日本企業は、正社員の雇用を守る代わりに、勤務地や仕事の中身を選べないようにしています。正社員は『何でもこなす』ことを求められ、労働時間も長くなりがちです」と山田さん。個々の社員の職務を明確に定めるなど働き方そのものを大きく変えない限り、残業ゼロは難しく、早朝勤務はさらに広がると予想する。「政府は成長戦略の一環で労働・雇用改革を検討中ですが、働き方の多様化や労働移動を促す本質的な議論にはなっていません」

「今回の報告書は早朝に仕上げました」と胸を張る章司に「確かに分量は割り増しになっているが、質も高まっているのか、チェックさせてもらうよ」と所長がニヤリ。

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■「朝活」に商機 経済効果も

“早朝勤務派”からは「生活のリズム」「健康」という言葉がよく出てくる。伊藤忠テクノソリューションズでシステム開発に携わる広重仁美さん(26)は午前7時30分に仕事を始める。同社は昨年から朝型勤務を奨励中だ。「以前なら繁忙期は午後10~11時ころまで残業でした。夜間残業をやめるために仕事のやり方を工夫したら効率が上がりました。帰宅時間が早く睡眠もよく取れます」

産業界では、早朝勤務や「朝活」に熱心な人を対象に新たな商機を探る動きも出始めている。オムロンヘルスケアが2013年に発売した「ねむり時間計」は枕元に置くだけで睡眠時間や寝つきにかかった時間などを計測し、眠りの状態をチェックできる。データを転送すると、眠りを改善するアドバイスがスマートフォンに表示される。

マーケティング担当の船尾公喜さん(39)は「早朝勤務や朝活に熱心な30~40代の男女から、朝型のライフスタイルを定着させるのに役立っていると聞きます」と話す。

カルビーはシリアル食品「フルグラ」を企業に一定の期間、無料で提供し、早朝勤務の社員に朝食を取る習慣を根付かせようとしている。インターネット広告のオプトもその一社で、無料期間の終了後も同製品を社員に提供している。早朝勤務は夜間残業を減らすだけでなく、思わぬ経済効果も生んでいる。

(編集委員 前田裕之)

[日本経済新聞朝刊2015年3月24日付]

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