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エコノ探偵団

贈与増えれば景気よくなる? 効果は未知数

2015/1/14 日本経済新聞 朝刊

「子供の教育費を親が出してくれると楽だけど」。越してきた新婚夫婦が、事務所にあいさつに来てつぶやいた。「1月の相続増税に合わせた贈与税の改正で贈与が増えれば景気が良くなるかも」。興味を持った探偵、松田章司は調査に出た。

■子世代消費 押し上げに期待

まず税制に詳しい大和総研研究員の是枝俊悟さん(29)を訪ねた。「高齢者から若い世代への資産移転を促すのが最近の税制の流れです」と是枝さん。2015年1月、相続税の基礎控除枠が6割に縮小し最高税率が引き上げられた。一方、20歳以上の子や孫に年間300万円超3千万円以下を贈与すると贈与税の税率が下がった。子や孫に贈与すると一定額が非課税になる仕組みの拡大も検討中だ。

是枝さんは「贈与で子世代が将来に安心感を抱く心理的な効果が期待できます」と説明。「13年に始まった教育資金の贈与支援策が盛況ですよ」とヒントをくれた。

章司が三菱UFJ信託銀行を訪ねると、リテール企画推進部調査役の玉置千裕さん(37)が「教育資金贈与信託が久々のヒット商品です」。信託銀行などに口座を作り孫の教育資金を祖父母が贈与すると、孫1人1500万円まで贈与税がかからない。今のところ今年末までだが信託協会によれば契約額は14年11月末に累計6500億円超。玉置さんは「信託銀行を利用しなかった中堅所得層が新たに口座を作っています」。

そこへ税理士の天野隆さん(63)がやってきた。「契約1件あたりの金額は700万円弱と非課税枠の半分以下ですが、教育資金贈与信託をきっかけに贈与を考え始める人が多く、新たな贈与を生み出す力になっているようです」

章司は贈与の効果を知りたくなり、第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生さん(47)を訪ねた。「孫への贈与は、実質的には子世代の支援。60代以上が抱える金融資産は981兆円。贈与で若い世代へ移転されれば、経済に無限の可能性が広がります」と、熊野さん。

■把握難しく効果は未知数

「高齢者は本当にお金をためているのかな」と章司が総務省の家計調査を調べると、03年の60代の世帯の平均貯蓄額は約2400万円で、13年の70代以上の世帯も約2400万円だった。「10年間、貯蓄を減らさずに暮らせたわけか」と、章司は感心した。

章司が「相続でも資産が若い世代に渡りますよね」と聞くと、熊野さんは首を横に振った。「高齢化が進み、今や親の財産を相続する人の中核は50代。住宅ローンや教育費で家計が一番苦しい30~40代に資産が渡りません」。65歳以上の約11万世帯が孫1人に約600万円の教育費を贈与すれば、「潜在的に2.1兆円程度の消費押し上げ効果があります」(熊野さん)。

熊野さんは「家計調査では、子育てを終えた60代以上の世帯が子供用の衣類や教育費を支出している。孫のためでしょう」。日本全体の60代以上の世帯が払う孫の費用を章司が試算すると、13年は約3700億円だった。国内総生産(GDP)の名目家計最終消費支出の0.1%強だ。「高齢者が子や孫のためにお金を使えば経済効果がありそうだ」と、章司は期待した。

そこへ「ちょっと待って下さい」と、声をかけてきたのは、ニッセイ基礎研究所主任研究員の前田展弘さん(43)。「贈与したくてもできない高齢者が多く、期待しすぎは禁物です」。65歳で仕事を辞める人が多いが、65歳時点の平均余命は男性が約19年で、女性は約24年もある。「給与収入が途絶えた高齢者は長生きリスクに備え、お金を取って置かざるを得ないのです」と、前田さんは腕を組む。

続いて年金シニアプラン総合研究機構審議役の小野暁史さん(53)を訪ねた。社会保障制度と高齢者の生活を研究しており「14年3月の中間報告では特別養護老人ホームなど施設で介護を受ける家族が1人いると家計支出が月7万~12万円増える試算でした」。「これでは贈与できないかも」と、章司は不安になった。

一橋大学准教授の国枝繁樹さん(52)が現れて「税制で贈与を優遇すれば、貧富の格差が定着し拡大してしまう」と指摘した。贈与できるのは資産がある人で、贈与税軽減の恩恵を受けられるのは比較的裕福なその子や孫だけ。だが「富裕層ほど貯蓄を積み増す傾向が強く、贈与してもすぐに使われない資金の多くは当面貯蓄され景気刺激効果は限定的だろう」(国枝さん)。お金が足りず消費できない「流動性制約」に縛られる人に資産を渡してこそ消費が拡大するが、そうした人は贈与を受けられない。「とくに教育資金目的の贈与税軽減は教育格差拡大につながる。低所得層の子供向けの奨学金を充実する方が望ましい」と、国枝さんはみる。

世代間の資産移転の効果を研究する法政大学准教授の濱秋純哉さん(34)が加わり「贈与の効果の検証は困難です」。資産の移動が不透明で、非課税分も含む全貌の把握は困難だからだ。「相続は遺産分割で明らかになるが、贈与は家族に内緒で渡すこともでき、小遣いなど何を贈与と見なすか不明確です」(濱秋さん)

事務所に戻ると、明日香が新しいコートを着て出かけるところ。「親からのお年玉で買ったのよ」。章司は「この年でまだお年玉? そうか。これが贈与の経済効果か」。

◇            ◇

■非課税枠、アナウンス効果

教育費に続き、14年12月末にまとまった与党税制改正大綱に結婚・子育て資金の贈与非課税案が盛り込まれた。だが、実はもともと非課税のものも多い。税理士の天野隆さんは「学費や生活費は、その都度必要な金額を渡せば贈与税はかからない。社会的地位に見合う披露宴費用など結婚資金も贈与は非課税」。

制度改正によって非課税となるのは、1度にまとまった金額を前渡しする場合だけ。教育資金は使い切れなければ課税され、渡せる額は従来と変わらないともいえる。非課税枠拡充による税収減はあまり大きくなさそうだ。一方「政府が積極的に贈与を促すと印象づけるアナウンス効果は大きい」(天野さん)。

そもそも、死後に相続で資産を渡すか、生前に贈与するかという選択は、子孫に資産を渡す動機にかかわる。アジア成長研究所主席研究員のチャールズ・ユウジ・ホリオカさん(58)は、日本人は子供に老後の面倒を見てもらうかわりに資産を渡す利己的な「戦略的遺産動機」が比較的強いとみる。その場合、生前に渡せば面倒を見てもらえなくなることを心配し、“後払い”で相続させる傾向がある。

天野さんは「あうんの呼吸で、子供に将来は世話をしてほしいと考える高齢者もいる。ただ実際に生前贈与する人は、子や孫の笑顔が見たいからという人が多い」と話す。

(編集委員 大賀智子)

[日本経済新聞朝刊2015年1月13日付]

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