フィルムノワール/黒色影片 矢作俊彦著映画愛で世界を建立する執念

2015/1/14

一九七八年に出た『リンゴォ・キッドの休日』を第一弾とする、伝説的なシリーズの最新刊である。主人公・二村永爾をご存知の方には、説明は不要だろう。すでに本を手に取っておられるはずだ。そして二村をご存じない向きには、まずこの新作から試みられることをお勧めしよう。圧倒的な濃密さを誇る力作長編である。

(新潮社・2300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 シリーズとはいっても、三十六年の時を閲(けみ)して、この作品でようやく四作目。前作『ロング・グッドバイ』とのあいだに、すでに十年が経過している。反時代的ともいうべきスローペースだが、その理由は一読すれば明瞭だ。凝りに凝った描写、気取り倒した文体。どの段落、どの一文にも著者のこだわりが張りつめていて、書き流したような部分はいっさい見当たらない。

 そのこだわりの中核部分をなすのは映画への愛情であり、古今東西のおびただしいフィルムへの言及がはちきれんばかりにつめこまれている。主人公の元刑事・二村は、スクリーンの幻想をそのまま現実として生きる男なのだ。だから口を開けば、大向こうを唸(うな)らせる名ゼリフのような言葉ばかりが飛び出す。

 そんな二村が、ある女優の頼みで、失踪した若い男優を追って旅立つ。向かう先は映画の都・香港。女優の父が亡くなる前に撮った幻のフィルムをめぐる謎が絡んでくる。さらには香港ノワールに影響を及ぼした六十年代日活映画の輝ける星、「エースのジョー」こと宍戸錠ご本人(!)までが登場し、おなじみの頬をふくらませた表情できざなせりふを決め、トラブルの直中(ただなか)に体を張って飛び込むのだ。

 もちろん「男を探すにはまず女」なのだから、二村の前にはこってりとした魅力を漂わせたグラマラスな、エキゾチックな女たちの影が揺曳(ようえい)する。油断は禁物だ。「『女より拳銃(コルト)のほうがずっとマシだぜ』」と宍戸錠の嘆く通りなのである。「『女には消音器をつけられねえ』」

 というわけでこれは、映画が輝いていた時代へのオマージュなどというのんびりしたものでは毛頭ない。徹頭徹尾、自らの愛してやまないものだけでどこにもない世界を建立してしまおうとする著者の執念の産物なのであり、全体が他に類のないような言語実験の連続ともいえるだろう。

 シリーズ初の「スマホ」も登場し、社会の変化も鋭敏にとらえられている。しかし同時に主人公は少しも衰えを見せず、時の流れを超越している。格好よく酒を干し、宍戸につきあってニューヨークカットのステーキをうまそうに食う。このヒーローと再会するまで、また十年かかるのだろうか。

(仏文学者 野崎 歓)

[日本経済新聞朝刊2015年1月11日付]

フィルムノワール/黒色影片

著者:矢作 俊彦
出版:新潮社
価格:2,484円(税込み)

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