歌舞伎座12月公演若さが生み出す期待と不安

開場以来20カ月の先月末に入場者数200万人を超えたという歌舞伎座。真価はむしろ今後にかかっているとするなら、今月はその新たな第一歩だ。「大歌舞伎」と称するものの、玉三郎を除いては花形歌舞伎というべき若さが、期待と不安の乱高下する舞台を生み出している。

「義賢最期」は愛之助が叔父・仁左衛門から継承し既に5演目というにふさわしい確かな手応えを感じさせる。亀三郎の行綱、尾上右近の待宵姫と初役がそろう新鮮さの中にも、梅枝の小万が女武道の男まさりの魅力とけなげさが相まって出色だ。

「幻武蔵」は国立劇場の懸賞戯曲入選者の故・森山治男作という異色作。姫路城天守の怪異をめぐる刑部(おさかべ)明神と宮本武蔵の伝説に基づいた意欲作を玉三郎が演出・出演する舞台だが、精神性を強調するのに急でセリフが説明過多になるのが難。むしろ舞踊仕立てにした方がふさわしいテーマのように思う。玉三郎・海老蔵による舞踊「二人椀久(ににんわんきゅう)」は二世藤間勘祖の新しい振付による。夢幻的な美しさの半面、海老蔵の鋭さが役と踊りのトーンを突き破る。

夜の部は海老蔵が自ら主導し5役を勤める「雷神(なるかみ)不動北山桜」の通し。6年前の初演以来新たな試みを重ねての5演目だが、横溢(おういつ)する意欲の半面、意余っての破綻も目に付く。それ自体は難ずべきことではないが、試みはもう一倍、深い省察を経た上でのものでありたい。序幕を「仮名手本忠臣蔵」の大序もどきにしたり、「毛抜」の場面の不安定さがその典型例。翻って玉三郎を絶間姫(たえまひめ)に迎えた「鳴神」の安定と充実感が対照的。玉三郎も気迫を見せ、久々にその真骨頂を見る思いがした。一年を締めくくるにふさわしい一場となった。26日まで。

(演劇評論家 上村 以和於)