〈報道写真〉と戦争 白山眞理著宣伝戦担った感性に訴える武器

2014/12/10

記事に添えられた「ニュース写真」なら、日露戦争以後の新聞ですでに一般化していた。だが、短いキャプションだけで数枚の組み写真に物語らせる「報道写真」は、第一次大戦後のドイツで開花した。記事と写真の主客を逆転させた「絵になる」ジャーナリズムは、理性より感性に訴える大衆宣伝において特に有効だったためである。

(吉川弘文館・4800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 その威力について、日中戦争勃発後の一九三八年に創刊された内閣情報部の『写真週報』はこう評価した。

 「映画を宣伝戦の機関銃とするならば、写真は短刀よく人の心に直入する銃剣でもあり、何十何萬と印刷されて撒布(さんぷ)される毒瓦斯(ガス)でもある」

 この国策宣伝グラフ誌にも内閣情報部嘱託として関わった名取洋之助こそ、ルポルタージュ・フォト(報道写真)という言葉を「非常時日本」に持ち込んだ人物である。ナチ政権成立後にドイツから帰国した名取は、制作集団「日本工房」を組織した。そこに集まった木村伊兵衛、土門拳など有名な写真家を中心に写真界の戦中・戦後を描き切った力作である。

 満州事変以後の激しい国際宣伝戦において、欧米向け広報や占領地で宣撫(せんぶ)に使う写真の需要は急増した。戦時下の写真界は厳しい検閲や物資統制の圧迫に晒(さら)されたが、同時に「報道写真」が組織化され、多くの才能が開花したことも確かである。

 その一人、土門拳は戦後に「絶対非演出の絶対スナップ」を掲げてリアリズム写真運動を展開したが、戦争宣伝では多くの演出写真を手がけている。「報道と宣伝は戦闘それ自身の一部である」(土門拳「呆童漫語」)とすれば、写真家とはカメラで武装した写真兵に他ならない。この写真戦で最大限の効果をねらって演出した土門の「挫折の反動」が戦後のリアリズム提唱だ、と著者はいう。それにしても、戦中と戦後の写真に断絶はない。「悪しき状態を、よき状態に変えるようにカメラを通じて参加していく気構え」は、立ち位置が違うだけで戦後の『ヒロシマ』『筑豊のこどもたち』まで一貫している。

 従来の写真史では戦時動員された写真家が被害者と見なされる一方で、写真界が示した「写真報国」への自発性は過小評価されてきた。しかし、検閲強化を意味する写真雑誌の統廃合でさえ、効率的な宣伝システム構築として積極的に評価する声が写真界にも存在していた。

 「戦後70年」を迎えようとしている今、写真というメディアのメッセージを深く読むために不可欠な一冊である。

(京都大学准教授 佐藤 卓己)

[日本経済新聞朝刊2014年12月7日付]

〈報道写真〉と戦争: 1930-1960

著者:白山 眞理
出版:吉川弘文館
価格:5,184円(税込み)

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