新潟・村上 城下町が育むサケ文化自然の増殖装置、藩潤す

新潟でサケ漁がピークを迎えている。そう聞いて「ああ、そんな季節になったか」と当たり前のように思う人がどれぐらいいるだろう。新潟県民にとってサケは当たり前の魚だ。お雑煮にもサケを入れる。サケ漁の中心が県最北の村上市。加工品の種類は100以上にのぼる。城下町ならではの多様で奥深いサケ文化は、実は世界に先駆けて築いた壮大な自然増殖制度で守られている。

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暗雲垂れ込める中、三面川で伝統の居繰り網漁が始まる

暗雲から日差しが僅かに差し込む11月初旬の朝、3隻の木船でサケを追い込む居繰り網(いぐりあみ)漁が厳かに始まった。この伝統の漁は、国内でこの三面(みおもて)川でしか行われていない。川幅いっぱいに柵を張り上流へ向かうサケを捕る「ウライ漁」や、大きなカギにサケを引っかけて捕る「テンカラ漁」などと合わせて、10~12月に約5万匹を捕る。

このサケは基本的に人工ふ化向けだ。サケの卵はロシア語のイクラが定着しているが、村上では日本語の「はらこ」を使う。メスの腹からはらこを取り出し、オスの精子をかけて人工授精でふ化させる。漁を担う三面川鮭産漁業協同組合の玉木和幸さん(60)は「地元の子供たちが放流したサケの稚魚は北太平洋で育ち4~5年かけて生まれ故郷のこの川に戻る。回帰率は1%に満たないが、絶やしてはならない」と話す。

町家づくりの店は奥まで土間が続き、生活空間や塩引き鮭の加工過程が見学できる(村上市の喜っ川)

サケの母川回帰の習性に着目したのが村上藩の下級武士、青砥武平治(あおと・ぶへいじ)。江戸中期、サケの枯渇を憂えた武平治は30年かけて三面川の一部を種川として整備、自然増殖の技術を世界で初めて制度化した。村上はサケで再び潤い、藩はその資金を教育に向けた。サケの育英資金で育った若者は「鮭の子」と呼ばれ、多くの学者や政治家を輩出した。

三面川の源流は山形県にまたがる朝日連峰。ブナの原生林が息づき、ミネラル分の多い豊かな水を三面川に送り込む。河口付近はタブノキ林が生い茂り、遡上するサケを守っている。そして、北西の寒風が村上の代名詞である塩引き鮭を生む。鮮度の良いサケに塩をすり込んだ後洗い流し、乾燥させる。

サケの加工品製造・販売店の「味匠 喜っ川」の吉川真嗣専務(50)は「寒風にさらすことで、この地域特有の必須アミノ酸9種類を含む新しいサケに生まれ変わる」と話す。

川のほとりには独自の自然環境が育んだ食文化を伝える日本初のサケの博物館「イヨボヤ会館」がある。地元の方言で「魚の中の魚」という意味だ。松尾芭蕉も泊まった旅館、井筒屋の店主、鳥山潤子さん(49)は「この時期はサケのことが自然と話題になる。塩引き鮭を自宅で作る家も多く、各家がサケ料理に自負を持っている」という。