夜また夜の深い夜 桐野夏生著女たちのサバイバルと魂の彷徨

2014/11/17

女性私立探偵小説『顔に降りかかる雨』(江戸川乱歩賞)でデビューした桐野夏生は、『OUT』で推理作家協会賞を受賞する一方、『グロテスク』で泉鏡花文学賞、『東京島』で谷崎潤一郎賞を受賞と、エンターテインメントと純文学の境界で傑作を送り出している。近年も、濃密な純文学よりの小説(『残虐記』『IN』『女神記』)もあれば、リーダビリティの高いエンターテインメントよりの小説(『ハピネス』『緑の毒』)もある。新作『夜また夜の深い夜』は明らかに後者だろう。

 物語は、ナポリに住む舞子の手紙で幕をあける。一度も会ったことのない七海という同年代の女性にむけて自分の生活を語るのだ。舞子は幼い頃から母に連れられてアジアやヨーロッパを転々として、満足に学校にも行っていない。母親は本当の名前を言わず、父親の名前もルーツも教えず、なぜか顔の整形を繰り返して、舞子には国籍もIDもない。母は何から逃れ、何を隠しているのか。

 ナポリのスラムに住み始めて四年がたち、十八歳になった舞子はある日、漫画喫茶を経営する日本人によびとめられる。それが運命の転換点だった。

 ぐいぐい読者を引っ張っていく。母親の過去と舞子の出自の解明が次第になされていくからだが、興趣は謎解きばかりではない。物語の中盤から、モルドバ出身のアナ、リベリア出身のエリスが舞子の相棒になり、ナポリでの怪しいバイトとトラブル、マフィアからの逃走などさまざまな事件が起き、そのうえ舞子たちを追いかける組織との対峙もあり、物語の行く先がまったく読めなくなる。

 しかし先の読めないストーリーもさることながら、やはり読み応えがあるのは、女性四人(舞子、舞子の母親、アナ、エリス)のサバイバルである。女性四人のサバイバルといえば、死体解体業に勤(いそ)しむ四人の女の物語『OUT』を想起させるけれど、十七年後の本作では世界各地での民族紛争や貧困を見据えて、より残酷で悲惨きわまりない女性たちの肖像を刻み込む(とくにエリスの体験談が凄(すさ)まじい)。神の存在、罪と罰の問題などを根底から問い直し、破壊して、人物たちに新たな生へと向かわせるのである。

 でもそれは決して再生ではない。なぜなら女性たちは“夜また夜の深い夜”(ロルカ「スペイン警備隊のロマンセ」より)の中“裸の風”にさらされた精神情況にあるからで、終りなき彷徨(ほうこう)の新たな歩みにすぎない(それでも力強い選択だ)。魂の彷徨を描き続ける桐野文学の、力感みなぎる収穫である。

(文芸評論家 池上 冬樹)

[日本経済新聞朝刊2014年11月16日付]

夜また夜の深い夜

著者:桐野 夏生
出版:幻冬舎
価格:1,620円(税込み)

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