ハルビン駅へ ディビッド・ウルフ著国家の枠超え掘り下げた満洲研究

2014/11/17

満洲研究としては後世に残る名著である。19世紀末から日露戦争前後にかけての時代、ロシアのウィッテ蔵相が推進した満洲政策、とくに当時の東清鉄道とハルビンの動静や雰囲気を、旅順、大連なども視野に入れながら極めて綿密にフォローしている。帯にロシア版「坂の上の雲」とあるが、賛同できない。「坂の上」は事実を基にした国民的ロマンだが、本書は註(ちゅう)、文献目録、索引だけで110頁(ページ)(全447頁)もある本格的な研究書だ。といっても、実証的なデータや人名などを延々羅列した砂を噛(か)むような書ではない。時代の大きな流れを視野に、ハルビンや満洲におけるロシア政府や東清鉄道関係者とロシア軍部の対立など微視的かつ本質的な問題に深く立ち入っている。優秀な訳者も得て、研究書としては名文で読み易い。

(半谷史郎訳、講談社・2500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 ロシア史の個別問題に関心がある者には、興味深い事例研究が豊富だ。例えばニコライ2世が1905年の十月詔書で国会開設と憲法制定を発表した時、サンクトペテルブルグなどでは知識人たちは「自由と憲法」で湧き上がった。このとき、ハルビン市民の間でも喜びが爆発し熱狂と歓喜に包まれたとかで、その状況が生き生きと描かれている。また、現地の軍がそれを警戒し、兵士には自由は適用されないとして、軍隊ではツァーリの布告が読み上げられなかったといった事実も興味深い。

 著者のウルフ氏は北海道大学スラブ研究センター教授も務め、日本の文献も漁り、わが国の研究者たちとも密接な交流をしている。著者の問題意識は、ソ連時代の歴史観とも、日本人の「ハルビン郷愁」的な満洲認識とも異なる視点から、また国家という枠を超えた地域研究として、満洲を掘り下げることにある。

 氏は後の日本による満洲国政策と比べて、ロシアの植民地政策はよりリベラルだったと位置付ける。帝政ロシアは清国に容赦ない圧力をかけたのではなく(ソ連初期の歴史家はそう描いた)、満洲では日露戦争敗戦から学んで中国人に対しても寛容と包摂の諸策がとられた。それは、戦勝国日本が中国に二十一ヵ条を突きつけたのとは対極にある、とされる。英国人歴史家D・リーベンが『帝国の興亡』で、英国のインドに対する植民地政策などと比べて、日本の満洲政策を工業振興などに関連してより肯定的に評価しているのとは対照的だ。本書の主題ではないが、日露の満洲政策に対する著者の評価は、議論を呼ぶだろう。

(新潟県立大学教授 袴田 茂樹)

[日本経済新聞朝刊2014年11月16日付]

ハルビン駅へ 日露中・交錯するロシア満洲の近代史

著者:ディビッド・ウルフ
出版:講談社
価格:2,700円(税込み)

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