イチョウ 奇跡の2億年史 ピーター・クレイン著環境変化を生き抜いた種の歴史

2014/11/5

大学に入学した頃「イチョウ伝説というのがあってね。1年生のときに、このイチョウ並木の葉が落ちるまでに彼氏ができなかったら一生結婚できないらしいよ」と聞いた。ばかげた話ではあるが、はたち前の女子学生はそれなりに受け止めてしまった。そんな伝説にもならない話に構いもせず、学内のイチョウ並木は黄金に色づき、葉を落とし、地面を染めた。私もいつしかその伝説を忘れ、秋には落ち葉を踏む感触を楽しみながらイチョウ並木を歩いた。

(矢野真千子訳、河出書房新社・3500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 イチョウに対する思いは人によって様々だろう。本書はそんなイチョウと人間との関わりを、科学・生活・文化などから多面的に描いている。私たちにとってなじみ深いこの樹木は、日本だけでなく東南アジア・欧米など世界各所で愛されているという。そんなイチョウは2億年もの歴史を持ち「生きた化石」と呼ばれる貴重な財産だった。

 イチョウが悠久の時を経て生き延びているのは、その繁殖のメカニズムが一つの要因だ。この樹木は有性生殖をし、次世代以降の遺伝子の多様さを生み、環境の変化が起きた際でもその種が残る確率を高めることができる。近くに別の性の樹木がない場合、種を残すことができないリスクを伴うが、イチョウは雄の木が一部雌化する。そのため自家受粉が可能となり、その危険を回避することができる。

 種自体が強いイチョウは長年アジアや欧米で繁栄していたが、絶滅の危機にさらされたことがある。更新世(約200万年前から1万年前)の氷河期では、中国の2カ所でしか化石が見つかっていない。この時期から衰退に向かっていたイチョウの非常事態を救ったのは人間だ。仏教など宗教のシンボルとなり、神社や仏閣で栽培され、大事に育成された。日本で栄えているイチョウは中国から輸入されたものだ。その時期は文献によると15世紀くらいだという。『万葉集』や『源氏物語』にイチョウが描かれていたらと残念に思うが、それらには登場しない。

 ロンドンやマンハッタンの街を彩り、今や欧米でも重宝される樹木となったのは、鎖国時代の日本文化を海外に紹介した第一人者のケンペルの成果だろう。彼は日本を紹介する際にイチョウも伝えていた。

 今、地球上には絶滅しつつある種は多い。しかし、人間はイチョウのように種を守ることもできると本書は教えてくれる。秋の黄金色の並木にうっとりしながら、私たちができることを考えても悪くはない。

(サイエンスライター 内田 麻理香)

[日本経済新聞朝刊2014年11月2日付]

イチョウ 奇跡の2億年史: 生き残った最古の樹木の物語

著者:ピーター クレイン
出版:河出書房新社
価格:3,780円(税込み)

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