地域で愛される会社めざす

「地域で署名活動も始まり、運動を知ったゼネコンなどから取引を停止に。自治体も本社移転を勧めてきました。産廃処理はきつくて大変ですが、誰かがやるべき誇れる仕事です。それ以上に小さい頃から職人と一緒に遊び、重機やダンプカーになじんで育った私は会社が好きでした」

「弱った父に『私に社長をやらせてください』と頼みました。『女には無理だ』と言っていた父も折れ、1年で目に見える成果が出なければ降ろすという条件で、父が会長となり、私は『代表権のない社長』に就任したのです」

――会社をどう変えていったのですか。

「生きていくため、地域に愛される会社にするという理念を掲げました。まず事業面では売上高の7割を占めるごみ焼却事業からの撤退を決め、導入時は業界紙に絶賛された最新鋭の機械を捨てました。工場から煙突がなくなりました」

「その代わりに、細々と手がけていた建設現場からの廃棄物の減量化とリサイクルに特化すると決めたのです。粉じんなどが外に飛ばないよう、すべての設備を建物内に収める全天候型の総合プラントを造ることにしました。40億円の投資です。提案を認めてくれた父はすごいと思います」

――設備の次は組織と人の変革ですね。

「当時の産廃工場は男性の職場です。従業員の休憩場所としてプレハブ小屋が6棟あり、壁にはヌードポスターが貼られ、中は漫画やたばこの吸い殻などが散らかっていました。廃棄物のなかから集めた家電も並び、アジトのよう。従業員のふるまいは地域から丸見えです。私は繰り返し休憩所に足を運び、会社を変えたいと説きました。雑誌や吸い殻は見つけたらどんどん捨てます。最後は6棟の休憩所を1カ所に減らし、仕事中のたばこやサンダルでの出社も禁止しました」

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改革に社員反発、退社も
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