3年目でまさかのマネジャー就任 ホテル暮らし2年半
ワールド 鈴木信輝・社長(上)
ワールドの鈴木信輝社長
京大大学院ではインドの政治に関する研究をしていました。研究者を目指すか就職するか揺れていた時、コンサルティング会社のアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)で働く友人と会う機会がありました。企業や団体の困りごとを解決する仕事だと聞き、面白そうだと思い進路を変えました。入社して官公庁や学校を担当した後、製造業に移りました。
当時、IT(情報技術)を使い電機メーカーのサプライチェーン(供給網)を改革する一大プロジェクトが進行中でした。世界の工場を一つのシステムでつなぎ、全体最適を目指す取り組みです。製造業の未来を先取りする試金石となるプロジェクトで、プレッシャーを感じていました。
チームは約20人。メンバーは国籍や年齢も様々でした。入社3年目のある日、課長級のマネジャーを任されることになりました。26歳の出来事です。マネジメントのイロハも分からない自分がなぜ選ばれたのか。責任の重さに、「マジか」と思いました。
「出勤先」は地方や東南アジアにある工場で、オフィスにはほとんど出社しませんでした。東京で借りていたマンションは荷物を置くだけのトランクルーム状態。拠点にしていた鹿児島のビジネスホテルの部屋で2年半暮らしました。
工場の現場で働く人は、使い慣れたシステムが変わることでストレスを感じます。提案を受け入れてくれる人もいれば、抵抗する人もいる。どうすれば新システムの意義を理解してもらえるか、悩みました。