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入社直後からアメリカンフットボールへの情熱は失わなかった

■アメフトと家族が支えに。

私生活では2つのことを大事にしました。1つはアメリカンフットボール。大学で魅力にとりつかれた私は、日立製作所に入社した直後に幹部の前で、「日本一のチームを作る」とぶち上げました。

チームを作り、朝6時に工場の周りをランニング。週末も練習に汗を流しました。35歳まではプレーヤーとして、その後は監督として関わり続けています。「120%の力で戦え。次に生きるのは、そうやって手にしたものだけだ」。コーチのラリー・ドノバン氏の言葉です。私の仕事の哲学にもなりました。

2つ目は家族です。33歳で結婚しましたが、新婚の頃も帰宅は日付が変わってから。その分、家族と過ごす時間を大切にしてきました。毎年の旅行は欠かさず、「家族が一番大事」と今も会社で公言しています。

■課長就任直後、事故に直面。

半導体の表面に膜を張る「CVD」工程の課長に就任してすぐの1989年12月。工場のクリーンルームで爆発が起き死傷者が出ました。人々の暮らしをよくしたいと没頭してきた仕事での事故に、大変な衝撃を受けました。不眠不休の検証実験で、開くはずのないバルブからガスが逆流したことが分かりました。

「絶対に開かないバルブなどない」。誤作動しても事故にならないよう安全指標を策定し、工場の供給配管を全て取り換えました。

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