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ウエスタンデジタルジャパンの小池淳義社長

ウエスタンデジタルジャパンの小池淳義社長

日立製作所に入社して配属されたのは半導体の開発部門でした。半導体の基板に凹凸を形成するエッチング(削り)工程が最初の担当です。

技術的には薬液を使う「ウエット」から、気体を使う「ドライ」へ移行し始めた時期で、社内に専門家はいません。私は新技術に没頭し、毎日、日付が変わるまで働きました。ど素人が第一人者になるまで時間はかかりませんでした。

■27歳、米国での学会に行く機会を得た。

私の指導員だった主任が「米国の学会に行かないか」と打診を受けた時のこと。主任が遠慮しているのを見て「私、行けます」と割り込みました。異例でしたが認めてもらえました。会社人生を通じ、何よりの幸運は上司に恵まれたことです。

半導体の最先端を行く米国の風景は私の世界観を変えました。大学から企業まで、領域に縛られず新技術への熱意にあふれている。エンジニアはともすれば担当分野にとらわれがちですが、目を開かれた思いでした。帰路の機内でも興奮が冷めず、100枚近いリポートを一気に書き上げました。翌年以降も毎年のように米国の学会に参加し、新分野に挑戦し続ける情熱の源になりました。

■技師としてラインの立ち上げに携わる。

33歳で技師として開発ラインをとりまとめる任に就きました。当時は各工程の圧力や流量などの情報が共有されず、ブラックボックスでした。この「レシピ」を共有できないか、と考えました。生産効率を高める条件を探ることができ、自動化にもつなげられます。

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