社宅退去令に反発、クビ覚悟で交渉 日銭の必要性痛感
ニッパツ 茅本隆司・社長(上)
ニッパツの茅本隆司社長
自動車向けのばね製品を主力とするニッパツに入社し、最初の配属は車のシート部門でした。工場でストップウオッチを持ち、先輩社員の作業時間を計測しました。少し前まで仕事の手順を教えてくれていた先輩たちにそんなことをして「怒られるのでは」とびくびくしていました。
■シートの座り心地解析システムを構築。
その後、シートの座り心地を解析する仕事を任されました。小さな圧力計をたくさん買い、ゴムシートに貼り付けて体にかかる圧力を分析しました。大学で金属を専攻した私にウレタンスポンジの解析を命じるなんて「むちゃだなあ」と感じる時もありました。ただ、合金を作る際の解析手法など、学生時代の知識が思わぬところに生きました。
1984年から課長時代を含む2001年まで、研究開発部門に籍を置きました。その間、東京工業大学で工学博士号も取得しました。仕事に取り組む姿勢で転機になったのが川崎工場の閉鎖でした。
■工場閉鎖で社宅が廃止され会社に「蜂起」。
課長級の主査になる少し前の1990年、川崎工場の閉鎖に伴い隣接の社宅も廃止されることになりました。会社から一方的に退去を命じられそうになり、理不尽だと反発しました。