患者少ない「頭頸部がん」 ネットで交流して相互支援
舌がんや喉頭がんに代表される頭頸(けい)部がん。肺がんや大腸がん、胃がんなどと比べると患者は少なく、闘病中も孤立しがちだった。治療の知識やその後の生活に役立つ情報が入手しにくいとの声もあった。しかし近年は患者や経験者、その家族による横の連携が活発になり、相互支援の輪が広がり始めている。
「舌を切除して会話が難しい、料理をそしゃくできない、香りがわからない、首に傷痕が残るなど、頭頸部がんの経験者は治癒後の生活の質(QOL)の低下が大きい」。頭頸部がんの患者や家族でつくるNicotto(ニコット、東京・世田谷)の福智木蘭(ムーラン)会長(68)はそう説明し始めた。
福智さん自身、非常に少ないという鼻中隔がんの経験者だ。「43歳のとき、眉間の内側組織を嗅覚細胞ごとそっくり切除した。今も嗅覚はない」。自分と同じ体験をした人は周囲に誰もいなかった。がん経験者の集まりに出れば、胃がんや大腸がん、乳がんを経験した人と話すことはできた。ただ自分のような頭頸部がんの人は全くいなかったと振り返る。
再発を警戒しながら10年が過ぎたころ、出会ったのが舌がんの経験者だった。ふたりで話し合い、2016年には頭頸部がん患者の相互支援と病気の啓発を目的にNicottoを設立した。会員は徐々に増えていって現在は59人。男女が半々で、舌がん経験者が8割を占める。
活動の中心はほぼ月1回ペースで開く「えがおのお茶会」と毎年の遠足だ。
茶会は会員が実際に集まり、後遺症の乗り越え方から食事に使う道具の工夫まで、QOL向上につながるあらゆる情報を共有する。発声がうまくできなかったり、首のリンパ節に転移した腫瘍を切り取った傷痕を気にしたりして、外出をためらう経験者の背中を押すのも狙いだ。
新型コロナウイルスの感染が広がった昨春以降はオンライン開催に移行し、6月26日の会合には17人が参加した。「距離の制約がない特性が生き、地方からも2人参加してくれた」と福智さん。
遠足はコロナ禍の今は中断しているが、19年には埼玉県川越市へ出掛けた。それ以前には神奈川県鎌倉市を散策した。
頭頸部がん患者がネットを通じて情報を得られる場も出てきた。様々な種類のがんの患者の社会復帰を支援するNPO法人5years(ファイブイヤーズ、東京・港)のサイトだ。42歳で発症したがんを克服し、サロマ湖100キロウルトラマラソンを何回も完走した大久保淳一さんが15年にサイトをつくった。
登録者は1万5000人を超す。大久保さんは「闘病中の人は希望や仲間を求めるが、ネットには悲観的な情報ばかりが目立っていた。治癒の目安とされている5年間を生き抜き、社会復帰するために、必要な情報を得られるサイトをつくろうと考えた」と話す。
全国に活動を広げていることもあり、舌がんの会員は約260人、口腔(こうくう)がん患者も約60人が登録。それぞれが病歴や治療歴を公開している。そのひとり、北海道のジャイアンさんは「19年8月手術舌がんステージ2」「会話の口調は、かなり良くなった。うれしい」「再発が気になり落ち着かない」「毎日、生きてる事に感謝」などと書き込んでいた。
登録者は自分の病状や回復状況と似た人を探し、情報交換の場として機能する「みんなの広場」で連絡を取り合える。「互いが同志であり、ロールモデルになる」と大久保さんは話す。
頭頸部がんは患者や経験者が少ないだけに、情報交換の場は貴重だ。ネット経由であれば、参加のハードルもより低くなり、住む場所を問わず利用できる。患者本人にとっても家族にも、孤立を避けるための有効な手法になると期待が集まる。
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写真が笑顔取り戻す機会に
2017年から「ラベンダーリング」という写真撮影会が開かれている。電通や資生堂の有志ががん患者をメーキャップし、その笑顔を撮る。NPO法人キャンサーネットジャパン(東京・文京)のイベントなどこれまで8回。2月に写真集も出した=写真。
中心となっているのが電通プロデューサーの月村寛之さん。がんを発症した部下の御園生泰明さんと語り合うなかで「がんは患者の30%が仕事を辞める大変な病気というイメージを変えよう」と企画に動いた。
関係者が最も印象的だったと語るのが頭頸部がん経験者の心情の変化だ。写真を避けてきた女性は「自然な笑顔は出ないと思っていたが、思い切って撮影に飛び込んだら気持ちが上がった」と明かしたという。内にこもりがちな頭頸部がん経験者の思いを解き放つ機会になっているようだ。
(礒哲司)
[日本経済新聞夕刊2021年7月28日付]
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