■中国の奥地にも足を運び販路開拓。
中東で仕入れ先、中国で販売先を開拓しました。現地メーカーの情報がほとんどない時代。中国では高速道路がない奥地の工場などにも直接足を運びました。石化プラントが次々と立ち上がり、需要が急増していました。日本の品質のいい原料は歓迎されました。
変動リスクの高い資産を全体予算の3割にする、商品価格の急落など想定外の事態に対するシナリオを細かく設定する、といった対策を取りました。
■絶対損はしたくない、コツコツもうける。
もともと、絶対に損をしたくないという性格です。一発で大もうけするより、コツコツもうけるほうが性に合っています。大損が減りもうけが積み上がれば、社員のモチベーション維持にもつながります。組織として、後輩たちがずっと続けられるビジネスをつくりたいと考えていました。
中国の需要を取り込んだこともあり、業績は右肩上がりでした。基礎原料課は最終的に部に昇格しました。財閥系の商社に比べて海外での大型投資案件が少ない代わりに、行商でコツコツ稼ぐ。こうしたスタイルが化学品に限らず、社内に広がっていました。
あのころ……
1990年代末から2000年代初めの平成不況期、総合商社は不良債権の償却が重荷となり採算悪化にさらされた。伊藤忠は99年度に約4000億円の特損を計上した。その後は伊藤忠と丸紅が鉄鋼部門を統合するなど、業界で事業再編や合併が進んだ。
いしい・けいた 83年(昭58年)早大法卒、伊藤忠商事入社。14年執行役員、20年専務執行役員、21年4月から現職。東京都出身。60歳
[日本経済新聞朝刊 2021年7月14日付]