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富国生命保険社長 米山好映氏

富国生命保険社長 米山好映氏

富国生命保険は生保業界でも独特な会社として知られる。業界大手ではないが、2000年前後に業界を襲った生保危機を健全経営で周到に乗り切り、合従連衡にもくみしない。米著名投資家と経営スタイルや風貌が似ていることから「日比谷のバフェット」の異名を持つ米山好映社長(71)もまた、独特な経営者だ。リーダーとして「経営の軸をぶらさないことが何よりも大切」と語る。

(下)人づくりは交流の場づくり 全国で車座対話、信頼築く

――トップ就任から10年あまり。生保業界で最高齢の社長ですが、自身をどんなリーダーだと思いますか。

「俺についてこい、というタイプでは全くありません。かといって、社員を手取り足取りサポートする『サーバント(執事)型リーダー』でもない。けっこう屈折している、というかあまのじゃくだからね。いずれ、会社からいなくなったあとに『米山がいたらここでどう考えるか』と一人でも、思ってくれたらうれしい話だけど、それはないかな」

――主に運用部門を歩んできました。中長期目線の投資で知られる著名投資家のウォーレン・バフェット氏に運用スタイルが似ているほか、本社ビルが日比谷公園に面しているため「日比谷のバフェット」なんて呼び名もあります。

「年取ってるからでしょ(笑)。そう言っていただけるのは光栄なことだけど気恥ずかしい。実際に私の目先の短期的な相場観はほとんど当たらない。生命保険は長期契約だから中長期的な変遷が的中していればいい。運用戦略は担当者が責任感を持ってやってるからあまり口を出さない。たまに軸というか、原理原則に外れたことをやると怒りますけど」

――中堅幹部だった1980年代後半のバブル期は株式や不動産などの資産運用を受け持っていた。

「当社はバブル期に(価格が高騰していた)不動産や株式を買わなかったことで、その後の財務基盤が安定し、00年前後に生保が相次ぎ破綻した生保危機も乗り切れました。それは当時の古屋哲男社長の方針のおかげです。むしろ私は運用の現場で『このおっちゃん、おかしいんじゃないか』と不満をため込んでいました」

バブル時は資産運用を受け持ち、人脈作りにも励んだ(1989年12月、左から2人目)

バブル時は資産運用を受け持ち、人脈作りにも励んだ(1989年12月、左から2人目)

「80年代初めの保険契約の失効・解約率は10%台。古屋社長はむしろ『お客さまのニーズをくみ取り、きちっとフォローすれば失解率がゼロになるはずだ』と保守的で守りの話しかしなかった。ライバル各社の新契約が大幅に伸びるなか、当社は総資産の順位でどんどん追い抜かれていきました」

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