苦しいときはあえて挑戦 ダイヤ精機社長/諏訪貴子氏

自動車部品の寸法にくるいがないか確認する「ゲージ」という測定具がある。1000分の1ミリ単位の精密加工が求められるこのゲージの製造で、ダイヤ精機は国内随一の技術を持つ。多くの製造業が直面するように、同社もコロナ禍と無縁ではなかった。

すわ・たかこ 1995年成蹊大工卒。自動車部品メーカーや専業主婦、結婚披露宴の司会業などを経て2004年ダイヤ精機社長に就任。政府税制調査会特別委員なども務める。18年から日本郵便社外取締役。

昨年3月、金型部品など大量生産品の需要が減り始めた。「また来たか」。受注が8割減り、単月ベースで赤字に陥ったリーマン・ショック時の記憶がよみがえった。一方で落ち着いてもいた。設備投資を進めて技術力を磨き、危機に強い経営体制を築いてきた、との自負があった。

自動車産業は危機後を見据えて開発・生産体制を組む。「先を見越してゲージの注文は増えるかもしれない」。すると期待した通り、金型部品などの受注と反比例するようにゲージの需要は伸びた。生産効率を上げるツールの導入もあり、2021年7月期は売り上げは横ばいだが、増益の見通しだ。

精密加工のゲージは不良品を出してしまった場合の損失リスクが高い。撤退も選択肢にあったが、技術力維持のために続けてきた判断が生きた。「苦しくてもあえて挑戦することが将来の自分や会社を助ける」。改めて胸に刻みつけた。

創業者の父の急逝で主婦業から経営者に転じた。大学卒業後は他社に就職。社内で知り合った男性と結婚して2年で退社し、息子に恵まれた。結婚披露宴の司会のアルバイトなどはしていたが「自分が経営トップになることは想像していなかった」。

状況は息子が小学1年生になった04年に大きく変わった。父が入院することになり、医師と面談すると白血病で「余命4日」だと宣告される。悲しみに暮れる時間もない。後継者を急いで決めなければならなかった。

適任だと思う夫は念願の米国赴任を控えていた。すると思いがけず、会社幹部から社長になってほしいと懇願される。「女が社長でも構わない?」。社員の生活を支えなければならない重圧に押しつぶされそうになりながら、バトンを受け取ることになった。

すぐに厳しい現実に直面した。銀行の支店長に「おまえ、本気で頑張らなきゃダメだぞ」と突き放された。景気低迷で売り上げはピーク期の半分以下に落ち込んでいたのに社員数は27人で変わらず、経営は火の車。眠れぬ夜を過ごし、就任1週間で5人のリストラを決めた。

経営は全くの素人だった。「オーラがない2代目ならではのボトムアップ経営を目指そう」と決めた。リストラによる社員の反発をおさえるため、作業着姿で工場に入っては声を聞いた。会社への要望を受け止めたほか、整理整頓を徹底。作業効率を上げるなどし、経営を軌道に乗せた。

今は大手企業の社外取締役も務める。「理解できないことは理解できない、と発言するのが私の仕事」。受け身の「待ち工場」ではなく発信する町工場として、さらなる挑戦を続けるつもりだ。

(聞き手は女性活躍エディター天野由輝子)

[日本経済新聞朝刊2021年5月3日付]