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JERAの小野田聡社長

JERAの小野田聡社長

■暮らしに密着した仕事がしたい。

中部電力はかつて「中配さん」として地域に親しまれていました。切れた電球の交換もするなど、暮らしに密着した会社でした。生活者に身近な電力分野で働きたいとの思いが強まり、中部電力に入社しました。

入社後は研修で、石油火力である渥美火力発電所の運転や保守を学びました。その後本店(名古屋市)に移り、四日市にある液化天然ガス(LNG)基地の建設に携わりました。当時、LNGは導入されてからまだ10年ほどで、「怖い」という思いがありました。万が一事故を起こせば身の危険はもちろん、「LNGを使うな」という世論が広がってしまいます。

「安全神話」という言葉があります。今でこそ原子力発電所などで悪い意味で使われることが多いですが、当時は「絶対に事故を起こさない」という強い意志を表す言葉でした。国と協力しながら過剰だった設備設計を少しずつ減らし、法律の整備も不十分だったLNGの基地をつくるべく検討を繰り返しました。

■安全守る試行錯誤を繰り返した。

東京支社で役所対応などを経験した後、課長になったときには再びLNGに関わることになりました。担当したのは、中部電力として初めて降雪地帯に建設したLNG火力の上越火力発電所の設計でした。

降雪地帯では、発電を担うタービンの吸気口から雪が入る問題を解決する必要がありました。発電所全体の設計では、巡視点検をする作業員の動線を短くして、雪の影響をできるだけ受けないようにする配慮などに苦労しました。

一方で、うれしいこともありました。課長になると、部下が設備の仕様などを盛り込んだ検討書をもとに、設計の全体を見ることになります。

あるとき、部下がかつての設計記録を参考に検討書を持ち込んできました。よく見ると、以前自分が書いた検討書の内容が残っていたのです。「安全神話」を築くべく、技術基準がまだ整備されていなかったころに試行錯誤した設備の検討の記録です。私の検討内容が改良されながら、実際に使われる段階になっていたのです。

■課長時代に担当した上越火力、東日本大震災後に稼働。

課長時代に担当した上越火力はその後、思わぬところで役立ちました。東日本大震災の時です。菅直人元首相が2011年5月に出した要請で浜岡原子力発電所が停止しました。電源不足の状態に陥りましたが、11年12月に上越火力が試運転を開始し、中部エリアの電力供給を守りました。上越火力は12年、正式に稼働しました。

あのころ……

1980年代後半からのバブル経済を受け、電力不足が懸念される中、発電所の建設計画が次々に打ち出された。中部電力では尾鷲三田火力発電所(3号機)、川越火力発電所、碧南火力発電所などが相次いで稼働した。その後バブル崩壊を受け、発電所の新規建設は減少に傾く。

おのだ・さとし 80年(昭55年)慶大院修了、中部電力入社。13年取締役専務執行役員発電本部長、18年に副社長。19年4月から現職。愛知県出身。66歳
[日本経済新聞朝刊 2021年4月27日付]

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