「生」は海の味わい、出合いは漁次第 相模湾のしらす
毎年春を迎えると、相模湾沿岸の港が活気づく。しらす漁が解禁となるからだ。釜揚げやちりめんじゃこでおなじみの魚だが、加工していない生のしらすの味わいは格別だ。海を丸ごと口にするような風味を堪能できる。
「うーん、まだ少ないなあ」。解禁間もない3月半ば、神奈川県平塚市沖で網を引き上げた漁師、杉山武さんの表情はしぶかった。バケツの底で体長2センチほどの半透明の魚がはねた。その貴重な獲物をひとつまみパクリ。かすかな甘みと苦み、潮の香りが舌の上に広がった。
しらすは九州から宮城県の太平洋沿岸を中心に広くとられる。神奈川県内では相模湾の沿岸一帯にしらす漁師が点在し、「湘南しらす」のブランド名で出荷している。杉山さんによると、短時間網をひく漁法で、船上で氷締めするので魚の傷みが少ないのが特徴という。
鮮度が落ちるのが早く、生食は基本的に水揚げした日に限られる。冷凍技術の発達で市場に出回るようになったものの、新鮮なものを入手するには港周辺の直売所や鮮魚店に行くのが一番だ。杉山さんが営む直売所「丸八丸」には「都内や埼玉から買いに来る人もいる」という。家庭ではショウガ醤油(しょうゆ)につけて白米の上に載せる食べ方が定番だ。
生しらすを提供する飲食店も増えてきた。店の前に海を望む「磯っぺ」(神奈川県平塚市)のメニューには生しらす丼や寿司に加え「生しらすそば」がある。冷たいそばの上に生しらすをたっぷり載せた。飯嶋豊社長によると「醤油でなくそばつゆを付ける人がいると聞いて考えた」とか。ショウガ醤油のほか、オリーブオイル、酢味噌の3種類を並べた「生しらす三味」での味比べも楽しい。
イタリア料理店「アクアフィオーレ」(同)は生ハム巻きやペペロンチーノの主役に抜てきした。生ハム巻きをほお張ると、ハムの塩辛さとしらすの甘さが口の中で混然一体となった。「一番しらすのおいしさを感じられるように工夫した」。オーナーシェフ、梶山卓男さんの自信作だ。
海からあがったままの姿を丸ごと味わうシンプルな食材ゆえ、下処理や鮮度管理が味を左右する。短時間で洗い、よく水を切らないと、プリッとした食感が失われてしまうのだそうだ。
どの店もその日に入荷がなければ料理を提供しない。食べられるかどうかはしらすの気分と漁次第。そんな偶然性が、料理を前にした時の感動をいっそう高める。
しらすは透き通った仔(し)稚魚の総称で、食材としてはカタクチイワシ、マイワシ、ウルメイワシを指すのが一般的だ。相模湾では春の大型連休前後と秋に漁獲のピークがある。
神奈川県内の漁業者でつくる「しらす船曳網漁業連絡協議会」によると、釜揚げしらすが一般家庭の食卓に上るようになったのは、冷蔵庫が普及した高度経済成長期以降。同協議会は10年前、取れたてを船上でタレに漬け込んだ「沖漬け」を開発、県内の直売所などで販売している。
(石川淳一)
[日本経済新聞夕刊2021年4月22日付]
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