FC店と恒例の慰労米国旅行 気遣いやもてなし術学ぶ
イエローハット 堀江康生・社長(下)
米国旅行ではFC店の社長などの接待を担当、1年の苦労をねぎらった
カー用品ブームを追い風にイエローハットは成長を続け、1992年には200店舗を超えました。大手と呼ばれるようになり、東証2部上場を目指す一環で営業部の指揮を任されました。準備にあたり、ある証券会社の担当者から「他社はFC(フランチャイズチェーン)店からブランド使用料を取っている。イエローハットも取るべきだ」と指摘されました。利益水準が高まると言うのです。
これに私は猛反対しました。「参入ハードルを下げ、継続的な成長を重視すべきだ」。FC店の中には小さな会社も多く、ブランド使用料を取ると経営を圧迫してしまうと考えたからです。一貫してブランド料はとらない方針を続けたことで店舗数は拡大の一途をたどり、営業利益もむしろ増えました。店舗数が300を超えた95年、無事に2部上場を果たしました。
営業部では毎年、米国旅行に行っていました。FC店はイエローハットにとって、商品を購入してくれる大事な顧客。営業成績が好調だったFC店の社長や従業員を招待して1年の苦労をねぎらうのです。私は課長として旅行の手配や世話役を任され、荷物運びや案内などに奔走しました。
ある時、現地で日本食を食べたくなった人がいました。次回から必ずかばんにおにぎりを詰めて日本から持参し、米国のホテルで配って回るようにしました。
これが好評でした。参加したあるFC店の社長からは「次の米国旅行が楽しみで日々の営業を頑張れるよ」と言ってもらえました。この時に身につけた相手への気遣いやもてなし術は、今でも役に立っています。
当時、社内には「掃除研修」という伝統行事がありました。「掃除を通して社会貢献をしたい」という思いで創業時から続いている活動で、いつの間にか研修になったものです。日曜日に有志が東京・中目黒にあった本社に集まり、周辺の道路の掃き掃除やごみ拾いをしました。もともと大の掃除好きだった私はこれが楽しみで、掃除の手順などを自主的にまとめて参加者に配っていました。
掃除には社員だけでなく取引先なども参加します。遠方からの来客は本社近くの研修センターに宿泊してもらい、掃除に打ち込みつつ寝食をともにしました。一緒に掃除をしながら、カー用品の売れ行きなどについて話しました。どんな相手でも現場で腹を割って話すことの大切さを、この掃除研修で学びました。
あのころ……
1990年代後半、自動車保有台数の増加は頭打ちとなり、カー用品店の店舗数増加ペースも鈍り始める。業界首位のオートバックスセブンは大型店の展開を始め、イエローハットは全店舗で車検に対応するなど、独自戦略を磨くことで新規顧客の獲得に動き始めた。