豪雨で工場水没被害 他社との転注交渉に奔走明電舎 三井田健・社長(下)

明電舎本社近くのJR大崎駅エスカレーターの広告(東京・品川)
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■豪雨で水没した工場の応援に向かう。
明電舎の名古屋工場がある枇杷島地区では自動車もほとんど水没してしまった(2000年)

2000年9月、東海地方を襲った台風と集中豪雨で名古屋工場近くの川が決壊しました。工場は1.5メートルほど水没し、1階にあったモーターは全滅。39人の従業員が工場内に取り残されました。当時私は東京本社の営業統括部にいましたが、応援のため現場へ向かうことになりました。

現場では道路脇に汚泥や廃棄物が積み上げられ、路面にあふれた下水が異臭を放っていました。到着して驚いたのは、当社がモーターを納入していた豊田自動織機の方々がフォークリフトや高圧洗浄機などを持ち込み、工場の片付けや掃除を手伝ってくれていたことです。その熱意に触れ、がっかりしている場合ではない、と工場の生産管理部門に直行しました。

■他社に転注を頼む。

問題は山積みでした。水没した製品を造り直さなければならないものの、生産ラインが復旧せず、納期に間にあいません。他社に生産を切り替えてもらう「転注」が必要になります。そのころ共同出資会社の設立を検討していた富士電機や日立製作所に、お願いに行くことになりました。

交渉役になった私は、工場内にあった製品写真と図面を持ってタクシーに乗り込みました。三重県鈴鹿市にある富士電機の工場に着いたのは夕方でした。

「明電さんが困っているんだ、何とかしよう」。快諾してくれましたが、生産ラインなどの調整ができたのは夜の10時。日立製作所も、同様に快く願いを受け入れてくれました。

翌朝名古屋工場に戻ると他にも生産が必要なモーターがあり、最終的に合計4回ほど名古屋と鈴鹿を行き来しました。当時お見舞いに駆けつけてくれた企業は400社を超えました。人や会社のつながりの大切さを強く実感しました。

■20年後、工場に再び活気が戻る。

豪雨の被害額は最終的に約30億円にのぼりました。大打撃を受けた名古屋工場はその後、小型モーターの生産を山梨県の工場に移転します。生産規模や人員が縮小するなか、工場をどう持続させるのか。復旧に関わった一人として、ずっと考え続けてきました。

活気が戻ったのは20年。名古屋工場で、電気自動車(EV)用モーター・インバーターの専用生産ラインが稼働したのです。行政の治水対策や周辺再開発のたまものでしょう。

EV用モーターを長年手がけてきたのは名古屋工場の技術者たちでした。水災からの復活は、先輩たちの悲願でもあったのです。彼らが「良かった、本当に良かった」と涙ぐむ姿に、私も強く心を打たれました。

あのころ……

平野に河川が集中する名古屋市周辺地域は、古くから水害に悩まされてきた。00年9月の東海豪雨では家屋約7万戸が浸水し、被害総額は約8500億円にものぼったという。東海豪雨後、国は700億円以上を投じて周辺地域の治水対策を実施した。

[日本経済新聞朝刊 2021年4月6日付]


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