林芙美子没後70年 幼少期エッセーに刻まれた作家の礎
「放浪記」「浮雲」などの小説で知られる作家の林芙美子が今年、没後70周年を迎える。九州で過ごした幼少期を書いた原稿が公開され、作家になるまでの過程に注目が集まっている。
若き日の自叙伝でロングラン舞台の原作でもある「放浪記」、成瀬巳喜男監督が映画化した「浮雲」が代表作の林芙美子(1903~51年)。九州各地を転々とした後、16年に移り住み、22年に恋人を頼って上京するまでの約6年を過ごしたのが広島県尾道市だ。
九州の思い出
芙美子の没後、尾道市は遺族(夫の林緑敏氏、姪(めい)の林福江氏)から直筆原稿や遺品を寄贈を受け、市立文学記念室の一角で展示していた。しかし入館者の減少で2020年3月に閉館。それを惜しんだ商店街の有志や研究者が「おのみち林芙美子顕彰会」を発足させた。芙美子一家が一時住んだJR尾道駅近くの「旧居」に開設していた「おのみち林芙美子記念館」を20年9月にリニューアルオープンし、市などの所蔵品を借り受けて展示を始めた。
初公開されているのが、幼少期に九州各地を転々とした思い出をつづった直筆エッセー「九洲(きゅうしゅう)の思ひ出」だ。顕彰会副会長の山口真一氏が東京の古書店で入手したもので、未発表の可能性もあるという。原稿用紙6枚に12、13歳までの出来事が書かれており「親は貧しくとも、子供は少しも辛くはないのだ」などとある。
「どこの町に行っても貸本屋を探して様々な本を読んだと書いてある。それが作家の道を進む上で役立ったはず」と山口氏。芙美子作品に詳しい北九州市立文学館館長の今川英子氏も「手当たり次第に本を読んだことが尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高校)での理解ある恩師との出会いもあり(文学の知識が)体系化された」とみる。
会長の藤原唯恭氏は「顕彰会を作ったことで、芙美子とゆかりのあった尾道の人々から資料提供を受けるケースも出ている。すでに通っていた高等女学校時代の写真などは展示している」と述べ、さらなる資料拡充をめざす。
芙美子の出生地には福岡県門司市(現・北九州市)と山口県下関市の2説がある。母・林キクの婚外子として生まれ、行商人で後に下関で質店を開いた実父・宮田麻太郎の認知はなかった。その後、キクとともに店を出た沢井喜三郎が芙美子の義父となる。沢井が開いた古着店が倒産、母と義父は行商人となる。
北九州市立文学館は20年3月の新装開館の際、ゆかりの文学者6人をパネルで紹介するコーナーを設けた。森鴎外、火野葦平、杉田久女、橋本多佳子、宗左近とともに光を当てたのが芙美子だ。「九州との関わりを重視した」(学芸員の小野恵氏)結果、尾道に移るまでの芙美子の足跡を紹介した地図を展示。「九洲の思ひ出」の複製原稿も並べた。
北九州市は14年、林芙美子文学賞も創設、第2回受賞者の高山羽根子氏は20年に芥川賞を受賞した。
一方、下関市立近代先人顕彰館(田中絹代ぶんか館)では4月4日まで、所蔵品展「林芙美子」を開催中。絶筆となった小説「めし」、1931~32年のパリでの生活などをつづった「三等旅行記」といった書籍を、簡単なあらすじとともに紹介している。
後進にエール
41年から急逝する51年まで住んだ東京・中井の旧宅を整備した新宿区立林芙美子記念館は4月から2022年2月まで、没後70年記念の展示を予定する。4期に分け、第1期は晩年に光を当てる。「芙美子は亡くなる4日前にNHKのラジオ番組『若い女性』に出て『コケが水を吸い込むようにいろいろ吸収しておきない』と後進にエールを送った。その言葉は現代の若い人々にも響くと思う」と学芸員の佐藤泉氏は話す。
「男性作家に比べると女性作家の研究は遅れた傾向がある。芙美子の場合は資料も残っているので研究の余地は大きい」と今川氏。実際、日本近代史研究者の廣畑研二氏は「放浪記」や「浮雲」の原型とみられる未発表作品を確認している。その経緯は19年刊行の著書「林芙美子全文業録」(論創社)などに詳しい。「宿命的な放浪者」と自らを語る芙美子の全体像を探る動きはこれからも続く。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2021年3月29日付]
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