作家・青山美智子さん 海外渡航を見守ってくれた両親
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は作家の青山美智子さんだ。
――両親と妹の4人家族。どんな子供時代でしたか。
「幼少期は千葉県内の数カ所で暮らし、中学で愛知・瀬戸市に引っ越しました。両親は心配性でした。大学時代の門限は夜7時半。男性を含むグループ旅行は許しが出ず、アルバイトの種類も指定されました」
「私自身は空想が大好きな少女。14歳のとき手に取った集英社コバルト文庫の氷室冴子さんの本に影響を受け、作家になりたいと思いました。確固たる自分の世界があったからこそ、両親からの干渉にも堪えられたのかもしれません。ただ、早く自由になりたいとは感じていました」
――大学卒業後、ワーキングホリデーで渡豪します。
「大学4年でワーキングホリデーの存在を知り、絶対に行きたいと思いました。1年間、学校に行っても働いても観光しても自由という生活が夢のようでした。でも両親の説得は難しいと感じていました」
「ところが実際に話を切り出すと、父も母もまったく反対せず、父は『行ってこい』とひとことだけ。拍子抜けしました。インターネットもなく、リアルタイムに連絡が取れるのは高額な国際電話だけの時代です。私は両親の気が変わらないうちにと渡航の準備を進め、渡豪しました」
「語学学校に通ったり観光したりして1年近く過ごし、そのあと日系の新聞社で働きました。ビジネスビザが手に入ったので、滞在を延長したいと両親に伝えたときも、反対されませんでした」
――旅行さえ反対していたご両親はなぜ、海外での生活を許してくれたのですか。
「当時は親の気持ちが分かりませんでしたが、学生時代と違い、社会人として娘の意図を尊重しよう、と覚悟をもって送り出してくれたのでしょう。滞在中はあまり連絡を取りませんでしたが、妹から後日、オーストラリアのニュースが流れると両親はテレビにくぎ付けになり、私の書いた記事を読んでくれていたと聞きました。正月は私の茶わんや箸も並べてお祝いしたそうです」
「本人が気をつけていても、事故などの悲劇に巻き込まれることはあります。私のことを信頼してくれたと同時に、私を取り巻く運命も『きっと大丈夫』と信頼してくれたのだと、今自分が息子を持って改めて感じます」
――当時の経験は今、どう生きていますか。
「帰国後は上京し、出版社に入社しました。作家としてのデビュー作はオーストラリアが舞台です。異国の地で暮らし、多様性を理解するとともに、文化や人種が違っても、人としての基本的な生活や営み、人を好きになるなどの感情や感覚は共通することが多いのだと実感しました。作家として様々な人生を描く際の財産となっています」
(聞き手は生活情報部 砂山絵理子)
[日本経済新聞夕刊2021年3月23日付]
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