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好本社長は「札幌の経験が今の経営にも生きている」と話す

■2000年、大丸札幌店(札幌市)の開業計画に携わる。

まさに「青天のへきれき」でした。03年の出店計画は公表されていましたが、人ごととして「誰が店長なのか」と飲み会で噂していたぐらいです。00年1月に大先輩の小林泰行(前J・フロントリテイリング取締役会議長)さんが店長に決まり、その1カ月後に私が開設準備室の部長として指名されました。

札幌市という政令指定都市に、グループとして店舗を構えることには大きな意味がありました。ただ、当時の大丸は関西地盤で、転勤族を除き札幌の方々にとっての知名度はほぼゼロです。札幌店を営業改革の新たなモデル店にしようという会社の意気込みは強かったですが、同僚たちには同情されましたよ。

■人員体制の計画も大きく変わった。

大丸心斎橋店(大阪市)で取り組んできた営業改革のノウハウを、新たな組織づくりに生かすというのが最大のポイントでした。当初は札幌店の人員体制を850人規模で想定していましたが、300人規模でやるとの方針が出されました。サービス品質を落とさず店を回すには、少人数の組織で最大の生産性を実現する必要がある。

バラバラだった会議を1つにまとめ、部署を統合して事務所の配置に手を入れる。とにかく色々やりましたね。サービス教育担当を累計100人規模で呼び寄せ、取引先のスタッフも含めて研修を受けてもらいました。それでも出てくるのは不安の声ばかり。知名度の低さから取引交渉も苦労し、「本当にうまくいかないな」と感じていました。

■開業直前になって努力が実を結ぶ。

雰囲気が大きく変わったのは開業の直前です。取引先への研修にはエネルギーを使いましたが、彼ら彼女らの目の色もどんどん変わっていきました。現場を支える人たちが本気になったことで、現地企業の評価も好転したのです。JR札幌駅直結という立地も大きかった。開店してすぐ、店長の小林さんと「この店はきっとうまくいきます」とうなずき合ったものです。

ゼロから組織を立ち上げて、モチベーションを高めながら現場の気持ちをまとめていく。それが実現できた札幌店は初年度から営業黒字を達成し、その後も増収増益を続けていきました。百貨店では業界は既に縮小傾向でしたから、異例のことだったと思います。

当社も様々なグループ会社や事業を抱えています。札幌で学んだことは今の経営につながっています。人に投資し、常に組織のあるべき姿を問い続けたいと考えています。

あのころ……

2000年代に入り百貨店の再編が進んだ。03年にはミレニアムリテイリング(現そごう・西武)が誕生し、07年には大丸と松坂屋ホールディングスが経営統合してJ・フロントリテイリングが発足。三越伊勢丹ホールディングスも含めて現在の大手グループが出そろった。

[日本経済新聞朝刊 2021年3月23日付]

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