認知症の人がもし事故を起こしたら… 自治体が支援へ
認知症の人が事故を起こした際に本人や家族が高額な損害賠償を求められるケースに備え、自治体が公費で保険料を負担する取り組みが広がっている。高齢化が進む中、安心して地域で暮らせるように環境を整える狙いがある。導入したのは全国で60自治体以上に上るが、小規模な自治体は財源の確保が難しいとの課題も指摘されている。
兵庫県尼崎市は2020年10月、認知症の人が事故などを起こした際の救済策として、民間の個人賠償責任保険を導入した。市が保険契約者となって保険の加入料を肩代わりする。市民の負担はなく、1億円を上限に事故の補償を受けられる内容だ。
行方不明になる恐れのある認知症の人を登録する市のネットワーク制度に入り、在宅で生活していることなどが加入の条件となる。「対象者の大半が希望した」(市の担当者)といい、本人や配偶者、生計を共にする同居家族らが被保険者となる。認知症の人の積極的な社会参加を促し、介護が必要な状態になることを防ぐのが目的だ。
保険では線路への立ち入り等で電車が運行できなくなった場合の遅延損害や、裁判の訴訟費用、外出先で他人の自転車を壊したり、漏水を起こして下の階の家財に損害を与えたりした際などに補償される。20年末までに約480人が登録し、市が年間の保険費用約200万円を負担する。
自治体が認知症の人の事故補償の保険料を負担する取り組みは17年11月に神奈川県大和市が初めて導入した。神戸市の「認知症対策監」として政策を取りまとめる神戸学院大の前田潔特命教授によると、認知症による賠償責任保険の費用を一部または全額負担する仕組みを取り入れる自治体は20年12月時点で63ある。
きっかけとなったのは、07年に愛知県大府市で起きた認知症の男性(当時91)が徘徊(はいかい)中に電車にはねられて死亡した事故だ。JR東海は男性の家族に運行遅延など約720万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした。一審、二審判決は家族に賠償を命じたが、最高裁は16年3月、家族に責任はないとして賠償を認めなかった。
民法は責任能力のない人が与えた損害は「監督義務者」が賠償責任を負うと規定。最高裁は監督義務について「生活状況や介護の実態などから総合的に判断すべきだ」との初判断を示し、男性の家族は「監督可能な状況になかった」とした。この訴訟を通じ、認知症の人の家族が監督責任を問われる可能性が広く認識されるようになった。
損害保険会社も認知症関連の商品を拡充している。保険大手の三井住友海上火災保険と東京海上日動火災保険は19年、自治体向けの認知症の事故補償プランの提供を始めた。店舗に陳列された商品を壊したときや線路立ち入りで電車が運行不能なったときなどの損害賠償責任の補償をする内容が中心だ。
認知症診断と事故補償を合わせた珍しい制度も登場している。神戸市は19年1月、65歳以上の高齢者が必要に応じて無料で認知症診断の検査を受けられ、認知症であれば保険に加入し、事故発生時には最高2億円まで補償する取り組みを始めた。保険料は市が負担する。市民税を1人あたり400円増額することで年間約3億円の財源を確保した。「神戸モデル」として知られる。
前田氏は「税収の少ない小規模な自治体では保険費用を負担できず導入が難しい」と課題を指摘する。「認知症の人が今後さらに増えると予想される中、どの地域に住んでいても安心して暮らせるようにするには国主導で制度の整備が欠かせない」と話している。
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不明者、年1万7479人
認知症が原因で警察に行方不明届が提出された人は増えている。19年は前年比3%増の1万7479人で、統計を取り始めてから7年連続で過去最多を更新した。
都道府県別の受理件数は大阪(2007人)、埼玉(1960人)、兵庫(1778人)、神奈川(1593人)、愛知(1468人)、東京(1174人)の順だった。
厚生労働省の国民生活基礎調査の概況によると、要介護になる原因で最も多いのが認知症だ。認知症の高齢者の推計は12年で462万人だったが、高齢化を背景に25年には700万人に増えるとされ、65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症になると見込まれている。
(斎藤毬子)
[日本経済新聞夕刊2021年3月10日付]
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