俳優・寺脇康文さん 豪快で気が短い父を反面教師に
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の寺脇康文さんだ。
――お父さんは豪快な方だったそうですね。
「豪快で気が短くて子どもっぽい面もありました。午前11時から診察の予約をして、病院でずっと待たされていると『いつまで待たせるんや。はよ診んかい』といきなりどなり散らし、周囲が一瞬凍りつきました。でも病院に着いたのは10時で、まだ11時にもなっていないんですよ。本人は『はよ来てんのやから、診てもろて何が悪い』ってけろっとしている。そんな父に周囲はいつもハラハラされ通しでしたが、裏表のない人間だったのでみんなに愛されていました」
「おやじが反面教師になったのでしょう。僕は他人に迷惑をかけないよう気遣いする子どもに育ちました。家族や友人と接していても常に『みんなを楽しませたい』『いい雰囲気にしたい』と考えていた。角が立たないよう自分がクッション役を買って出るという性格は変わりません」
――お父さんは商売をされていたとか。
「美術品を輸入販売する『寺脇商事』という小さな会社を経営していました。美術品は仕入れた商品が売れたらどっさり金が入ります。おやじはそんなとき、きまって散財しました。ある日、学校から帰ると両親が旅行に行く準備をしていて僕に早く支度をしろと。『あすも学校があるよ』と言うと『ええがな。休め』。楽しく生きることが最優先の人で、悩んでいる姿を見たことがありません」
――俳優を目指すことに反対はなかったのですか。
「5人の子どもの中で僕が最初の男の子だったこともあり溺愛されました。会社を継いでほしかったらしく『一緒にやろう』と言われたこともあります。でも俳優になる夢を捨てたくなかった。それで10年やってダメだったら父の仕事を手伝うという約束で劇団に入ったのです。5年目になんとか食っていける自信が持てるようになった。それからはおやじも応援してくれた。劇団の公演で僕が端役で出てもいつも見に来てほめてくれた。僕の一番のファンでしたね」
「俳優業が軌道に乗り忙しくなっても毎日、用もないのに『今何してるんや』『いつ帰ってくるねん』と携帯電話にかけてくる。帰省すると行きつけの飲み屋に連れていかれ、みんなに紹介するんです。親ばかですが、父親としてせがれを見てほしかったのでしょうね」
「おやじは8年前に81歳で風呂に入っていて亡くなりました。その日の昼にいつものように電話で話したのが最後の会話になりました。穏やかな死に顔でした。今でも夢に出てくるんです。あるとき、夢の中の僕が『もう死んでるだろ?』と言うと、おやじは『まあ、ええがな』。今も近くで僕を見守ってくれていると感じます」
(聞き手は生活情報部 木ノ内敏久)
[日本経済新聞夕刊2021年3月9日付]
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