ラテン源泉に多極的音楽を創造 チック・コリアの足跡

2019年の「東京JAZZ」に出演したコリア(東京都渋谷区のNHKホール)=市川 幸雄撮影
2019年の「東京JAZZ」に出演したコリア(東京都渋谷区のNHKホール)=市川 幸雄撮影

前衛からフュージョン、ジャズロックまで幅広く活躍した米ジャズピアニストの巨匠、チック・コリアが79歳で亡くなった。音楽評論家の青木和富氏が多彩な活動の足跡をたどる。

2月9日、チック・コリアが79歳で亡くなった。死因はがんとだけ家族から報告されている。

コリアは、1970年代以後のジャズ・フュージョン時代の最重要人物だった。それまでもマイルス・デイヴィスのグループに抜擢(ばってき)され注目されていたが、72年に出された1枚のアルバムからすべてが始まった。大空を飛翔(ひしょう)するかもめのカバー写真の「リターン・トゥ・フォーエヴァー」は、まるで閉塞する時代の空気を突き抜けて、大海原を自由に滑空する夢が、突然現れたような衝撃を世界に広げた。

電気と生楽器自在

この大ヒットをきっかけにコリアは、その後のフュージョン時代を切り開いていく。ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラとともに、大観衆に支えられた彼らの音楽は、久方ぶりにジャズがポピュラー音楽の世界に戻った時代とも言えた。

コリアの才能の特徴は、多方面に広がりを持っていることだろう。ピアノ奏者としては、音の余韻が引き出す情緒の世界を極力排し、その世界は音自体の美しさで構成される。このピアノの魅力が最大限に発揮されたのが、ヴィブラフォンのゲイリー・バートンと数時間で完成したというデュオ作品「クリスタル・サイレンス」という傑作だった。

1973年にリターン・トゥ・フォーエヴァーを率いて来日したコリア(左端、東京都新宿区の新宿厚生年金会館)=市川 幸雄撮影

また一方、これはコリアが、マイルス時代からフェンダー・ローズの電気ピアノにはまった理由でもある。さらに70年代以後の活動では、電気楽器と生楽器の両方の音楽世界を自在に往還することになる。

現代ではスタンダードの名曲とされ、ジャンルを超えて演奏され、歌われている「スペイン」に代表されるコリアの作曲の才能は、コリアの音楽世界のロマン性とラテン音楽とのつながりを示す。コリアはラテン音楽について、思惟(しい)を通さず、感情、肉体と直接つながる特異な世界とその魅力を語っているが、これは、コリアの世界観や創造のメカニズムの基本にも関係している。

コリアの世界は多極的で、全盛期のアコースティック・バンドとエレクトリック・バンドの並行活動、さらに大衆音楽に直接つながるラテン音楽と現代的な即興芸術の追究といった具合に、両極の間に音楽の未知の新たな創造力が生まれると語っている。

世界への肯定

コリアほど、人間の未来に明るい希望を抱いたジャズミュージシャンはいないかもしれない。彼が実践した音楽活動の基本には、一貫してこうした世界の肯定と、それを推し進める創造エネルギーへの揺るぎない確信があった。

それは単なる生きる信条という以上に、この世界を構成する基本のメカニズムのように信じていた。あるとき、コリアは学生に向かって、こうして音楽の創造力を追求することは、結果的に経済的にも成功することになると言ったことがある。

この発言の是非は別にして、コリアがこの世界、人々を愛することに一切の迷いがないように生きてきたことは間違いない。コリアの病気は進展が速く、残された時間はあまりなかったようだが、コリアは遺言のように人生の最後の言葉を残している。

そこでは「演奏、作曲やパフォーマンスなどをする人は、ぜひ続けてほしい。世界には多くのアーティストが必要というだけではなく、ただとても楽しいから」――。「尊敬する全てのアーティストたちと、できる限りあらゆる場所に創作の歓(よろこ)びをもたらすことができたのは、私の人生の豊かさだった」と述べられている。

グラミー賞を23回も受賞したコリアだが、ちなみに正式名はアルマンド・アンソニー・コリアで、チックは愛称である。子供の頃、叔母に頬を引っ張られて「チーキー」とかわいがられ、それが起源になった。

[日本経済新聞夕刊2021年2月22日付]

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