堅実で働き者の徳島女性は「阿波女」と尊ばれてきた。坂田さんはタウン誌出版社の社長を務めたほか、2018年に徳島経済同友会で初の女性代表幹事に就任。阿波女を切り口に徳島がいかに女性が働きやすい地域であるかを発信する。
写真家になる夢を抱き、東京の短大の写真技術科に進学した。卒業後は都内の写真スタジオに就職したが、ほどなくして創業間もない徳島の出版社、あわわに転職。「面白いことがやれそう」という直感を信じ、23歳で故郷に戻った。
オフィスは6畳一間のアパートで給料は月4万円。創業者の男性と2人きりでの仕事だった。「心が折れそうになったが、私を戦力として扱ってくれる環境はチャンス」。持ち前の前向きさで執筆や撮影など仕事は何でもこなした。
曲折もあった。2人目の出産で仕事と子育ての両立は難しいと感じ、一旦退社した。だが、人の思いや風景を形に残すタウン誌の仕事を諦めきれなかった。実家の協力を得て復職すると、地域に愛されるタウン誌づくりにまい進した。
編集長などを経て44歳で社長に就く。順調にキャリアを重ねていたが「経営の数字など一切わからない状態」だった。不安をかき消し「こんなチャンスはない」と気持ちを切り替える。京セラ創業者の稲盛和夫氏が主宰する「盛和塾」に入会して経営のイロハを身につけ、社長を9年間務めあげた。
県外の経済人との交流を通じて気づいたことがある。「徳島では女性が当たり前のように働き、それに違和感を感じない男性たちがいる。これは他の地域では決して当たり前ではない」
徳島は現在、同友会や商工会議所、経営者協会の3経済団体のトップを女性が務める。自身も要職に就く際、「女性だから」という特別な配慮も、「女性のくせに」というそしりもなかった。同友会では女性活躍推進委員会を「阿波女」活躍推進委員会と改称。1月には女性がさらに活躍できる地域づくりに向け、経営者らに対して意識改革を求める提言をまとめた。
女性が幸せに働ける地域をつくれば移住やUターンを促し、地域経済活性化のカギとなる、との思いは強い。「この土壌を広くアピールすることが私の今後の仕事のひとつ」と話す。
(聞き手は長谷川岳志)
[日本経済新聞朝刊2020年2月22日付]