VR演劇、主人公はあなた コロナ禍で生まれた映像作品
観客が主人公の視点で物語を楽しめる「仮想現実(VR)演劇」が相次ぎ登場した。専用ゴーグルをかけて視聴する映像作品なので配信にも向く。コロナ禍で生まれた新たな表現だ。
一人の青年(=観客)がとある洋食屋を訪れる。「この店で働かないか」と誘ってくる店主。青年は小型のイヤホンを通して指示を出す店主に従って料理を作り、店は段々と繁盛していく――。
2020年10月、東京芸術劇場シアターイースト(東京・豊島)で上演された「ダークマスターVR」はこんな物語だ。普段300人ほど収容できる客席には、観客が入る20個のブースが並ぶ。ブースに入ってVR視聴用のゴーグルをかけると、物語が始まる。
庭劇団ペニノを主宰するタニノクロウが脚色・演出を手掛けた。03年に初演した舞台版の「ダークマスター」は「舞台上で実際に料理をするなど体感を重視した作品。VRと合致すると思った」と語る。
「におい」感じた
ステーキを料理する場面では肉がジュウジュウと焼ける音が食欲をそそる。青年がたばこの煙を吹きかけられると、実際に風が顔に当たっているかのような錯覚に陥る。「映像と音だけなのにおいまで感じる人もいたのが面白い」
単に先端技術を競っているわけではない。演劇作品は役者や演出家らが集まって汗を流しながらつくり上げてきたが、コロナ禍で環境は一変。今までのような作品づくりは難しい。「ゴーグルをつけて作品を見る。こういう未来でいいのかな」。現代を生きる舞台人としての惑い、葛藤が反映されている。
感染症対策を踏まえたブースはマジックミラー張りで、ゴーグル姿の自分が映る。映像が終われば他の観客も見え、ゴーグル姿の集団の滑稽さ、不条理な現実を突きつけられる。
現在ネット配信中のVR演劇「僕はまだ死んでない」(チケット販売は28日まで)は、脳卒中で倒れた直人が主人公だ。視聴者は、まぶたと眼球しか動かせない直人の視点から、家族や幼なじみ、担当医らのやりとりを眺める。演出家のウォーリー木下が原案・演出を手掛けた。
目しか動かせないという設定は、視聴者がしゃべったり動いたりできない環境に置かれている違和感をなくすためだ。作品はスマートフォンやパソコン上でも見られるがウォーリーは「ぜひVR専用のゴーグルを使ってほしい」と話す。
動きがシンクロ
事前に収録した映像でも「客が能動的に参加している錯覚を生み出せる」という。周りの人物が直人をのぞき込み、しばらく無言が続くが、直人がまばたきすると、それに気づいて登場人物が驚く場面がある。視聴者がちょうどまばたきしたくなるであろう間を計算した演出で、視聴者が直人とシンクロしたような感覚が味わえる。
果たして、何度上演しても変わらない映像作品を「演劇」と呼べるのか。ウォーリーは「観客は役者とたくさん目が合い、お互いがそこにいるという感覚がある。確かに演劇のマジックはあるが、参加型のゲームに近い新しいもの」だと説明する。
一方、タニノは「これが演劇と呼べるかはわからない」と打ち明ける。それでも「新しい文化は技術の発展とともにいくらでも登場してきたが、様々な文化を受け入れた劇場は愛されていい」と話す。多くの演劇人が試行錯誤を重ねながら、新たな表現方法を探っている。
(北村光)
[日本経済新聞夕刊2021年2月9日付]
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