気象予報士・国本未華さん 夢を後押し、見守った両親
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は気象予報士の国本未華さんだ。
――どのようなご両親ですか。
「両親は常に私の自主性を大切にしてくれ、勉強を強制されたり叱られたりすることはありませんでした。母は舞台衣装などの服飾デザイナーで、普段づかいの小物などもささっと作る様子は格好良かったです。バイオリンなど習いごとも『やってみれば』と後押ししてくれました。専門職の父は心配性。勉強部屋を見に来ることはあったものの、邪魔をしまいと声をかけずに見守ってくれました」
――気象予報士の勉強を始めたのは大学生になってからですね。
「小学生のときにお天気キャスターになろうと思いました。母によると、テレビのお天気キャスターをかじりつくように見ていたそうです。本格的に勉強を始めたのは大学3年生のころ。母がすんなりと認めてくれた一方、父は当初猛反対でした。合格率が低く、お天気キャスターの職を得られるかもわからない。『無謀なチャレンジはしてほしくない』と言われました」
「父には心配をかけましたが、在学中に資格を取得できました。合格発表の日は、書類が書留で送られてくるものばかりだと思い、母と夕方まで家の中でそわそわしながら待っていました。その後ポストの中に入っていることに気づき、居間で母と大はしゃぎしたことを思い出します。父も喜んでくれ、今では私の仕事を親戚にうれしそうに語っています」
――働き始めてからは順調でしたか。
「最初は慣れない仕事に戸惑うことばかりで、自分の放送を見るのが嫌になることもありました。ただ少しずつ慣れてくると、両親と仕事について話をする機会も増えました。表情が硬すぎなかったか、棒読みになっていなかったか……。テレビを見た両親が感想を伝えてくれ、話し方の改善やモチベーションの向上につながりました」
「出演する放送局が変わって、周囲に気を使うこともありました。それでも母は『今の場所を成長の機会と思い前向きに頑張りなさい』と勇気づけてくれました」
――ご両親の教えが生きていると思うことは。
「幼少期から、母に『やりたいことは自分で決めなさい』とよく言われました。創造性が求められる仕事をしていた母ならではの言葉だと思います。主体性を持って番組に携わることが大切だと思い、天気図の見せ方などの解説方法で制作担当の方に自分の意見をしっかり伝えるようにしています」
「父は熱心なあまり仕事以外に気が回らなくなることがありました。そんな姿を見ていたので、オフには気分転換を心がけています。両親には近況を頻繁に話します。自分の考えや気持ちも整理されていきますね」
(聞き手は生活情報部 荒牧寛人)
[日本経済新聞夕刊2021年2月9日付]
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