百貨店激戦区の新宿で後発 「平成不況」で知恵絞る高島屋 村田善郎社長(下)

高島屋新宿店
高島屋新宿店
■帰国後、高島屋新宿店(東京・渋谷)の出店に携わる。

ドイツから帰国し、日本橋店(東京・中央)で特選洋食器の販売担当を約半年経験しました。そして1995年、当時計画が進んでいた新宿店の出店準備室に異動となります。各店からマネジャークラスの人材が集められ、96年10月の開業に向けて急ピッチで準備が進められていました。

新宿は都内屈指の激戦区です。新宿駅の1日の乗降客数は350万人を誇り、伊勢丹、三越(当時)、京王百貨店に小田急百貨店がしのぎを削っていました。我々にとっても新宿進出は大きな節目でした。

集められたマネジャーはいずれも各分野のプロフェッショナルです。リビングに強いあるバイヤーは他店の売り場を一目見れば、この食器の単価は何円で、週次・月次でどれくらい販売すれば売上高や利益はこれだけと言い当てることができた。一方の私はそんな経験や知識もなく、ただ驚くばかりでしたが。

■マーケティングの基礎を学んだ。
むらた・よしお 85年(昭60年)慶大法卒、高島屋入社。労働組合委員長や柏店(千葉県柏市)店長などを経て13年執行役員、15年常務。19年から現職。20年5月からは日本百貨店協会の会長。東京都出身。

そんな環境で大いに鍛えられました。競合店を毎日のように回って売り場構成や客層を分析し、どのような品ぞろえや売り方が必要かを必死に考えました。新宿は流行に敏感な消費者が多い一方で、確実に売り上げを確保できる定番商品も必要。マーケティングの基礎を学ぶ日々でした。

一方、当時はバブル崩壊後の「平成不況」で消費環境が大きく変わりました。当社の経営も厳しく、コストや人員の面でかなり制約があったことも確かです。開業準備にも知恵を絞りました。限られた人員で業務の生産性を高め、売り場を魅力的にするため議論を重ねました。

試行錯誤は開業後も続きましたが、現在につながる事業モデルの礎にもなりました。新宿店にはユニクロや東急ハンズといった有力テナントに入ってもらい、百貨店も含め施設全体としての価値を高めています。

■百貨店の意義が問い直されている。

その後は労働組合にも長く在籍し、地方百貨店の苦境ぶりを目の当たりにしました。損益計算書だけではなく貸借対照表やキャッシュフロー計算書も読み込み、どう経営に反映させるべきかを学んだのもこの頃です。2011年からの柏店長時代、そして今の立場につながった経験です。

百貨店の意義が問い直されています。メーカーなどモノづくりの現場と顧客をつなぐ「場」となり、ワクワク感や新たな発見をもたらすのが我々の役割です。その使命を改めて肝に銘じ、売り場の魅力を高めることがより重要です。

あのころ……

1990年代後半から2000年代にかけ、小売業界では業績不振なども背景に再編が加速する。ネット通販の登場により消費行動も変化していった。百貨店も大手同士の経営統合が進み、不動産事業など新たな収益モデルを模索する動きも出始めた。

[日本経済新聞朝刊 2021年1月26日付]


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