女優・香川京子さん 芸能界も「普通」、母が背中押す
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の香川京子さんだ。
――新作映画が2月に公開されますね。
「北海道室蘭市を舞台にした『モルエラニの霧の中』という四季の映像を紡いだ作品です。大杉漣さんが演じた写真館の主人と、再会するその息子をつなぐ老婦人の役です。撮影後に急逝された大杉さんの最後の公開映画です」
――初期の作品「おかあさん」(1952年)では田中絹代さんと親子でしたね。
「大スターの長女役でしたが、まったく緊張しなかったんです。『京子さん』と娘のようにかわいがってくださって。威張らなくて丁寧な方で、本当のお母さんのようにお仕事ができました」
――実際のお母さまは女優への道を反対したのでは?
「いいえ、母のおかげなんです。銀座の服部時計店(現和光)を受験して順調に面接が進んでいたんですね。ところが、新聞に俳優の登竜門の募集記事が載っていて『自分の仕事を持ちたい』という気持ちが膨らんだんです」
「最後のカメラテストと和光の最終面接が同じ日の同じ時間に重なり、母に相談しました。『自分の好きな仕事をやったらいい』と言ってくれました。今の自分があるのは母のおかげ。スターになりたいといった気持ちは一切なく、普通の仕事として選びました。私って普通なんです」
――両親と子供たちの微妙な距離感を描いた「東京物語」(53年)では、義姉役の原節子さんと共演しました。
「憧れでしたからご一緒できるのがうれしくて。とても明るくて元気な方で、本当のお姉さんのように自然な演技ができました。私は次女の役で『ずいぶん勝手よ。親子ってそんなものじゃないと思う』と原さんに向かって言うセリフがあります。当時私は21歳。本心に近いセリフでした。本当の心情がわかるのはずっと後のことです」
「自分も子育てや家事に日々追われるようになって、初めてあのときのお兄さんやお姉さんの気持ちがよくわかったんです。親のことはとても大事に思っている。でも全部の時間を両親に割けない。そんな繊細な親子の心情が丁寧に描かれています。だから世界中の映画監督があの作品を高く評価するのでしょう」
――読売新聞の記者だった夫の赴任先のニューヨークでの生活が転機になった。
「生後4カ月の長女を連れて、向こうで長男を産みました。母も1年間一緒にいてくれて、家事や子育てを一から教わりました。日本人家族とも仲良くなって、子供たちもよく遊んでもらいました」
「子供が苦手だったんですけど、ニューヨークの3年間の経験で、お母さん役や先生役もずっと楽になりました。今は孫にも恵まれて『東京物語』の両親の立場です。映画界に入って72年。今も公開作があるというのは、本当にうれしいことです」
[日本経済新聞夕刊2021年1月5日付]
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