買収先に尊敬の念で接する シェアドサービスを推進
富士フイルムHD社長 助野健児氏(下)
米コダックが事実上倒産したのに対し、富士フイルムは多角化路線に成功した
1991年に英国から帰国するとき、上司に希望を聞かれ、「営業の仕事をしたい」と答えました。ただ蓋を開けると経理部だったので、肩を落としました。
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経理業務の傍ら、様々なプロジェクトに関わりました。その1つが、95年に米イーストマン・コダックが米通商代表部(USTR)に提訴したことへの対応でした。コダックは、当社の排他的な商慣習が原因で日本の写真フィルム市場が閉鎖的だと主張したのです。法務部などの担当者と反論文を練り、最後は世界貿易機関(WTO)で当社側の主張が全面的に認められました。
すけの・けんじ 77年(昭52年)京大法卒、富士写真フイルム(現富士フイルム)入社。13年富士フイルムホールディングス取締役、16年社長兼最高執行責任者。兵庫県出身。66歳
2002年、米国法人に経理の責任者として渡米しました。デジタルカメラの登場でフィルムから写真を現像する注文はみるみる減っていきました。米国内には当時、現像工場が約30カ所あり、注文量に応じて減らす必要があります。財務諸表への影響を見つつ、統廃合計画を練りました。
一方、成長市場のインクジェット関連では、米国で企業を相次いで買収しました。日本の本社の指示で、私が買収先に出向いて当社の考え方などを説明しました。買収先は私たちに無い技術を持っており、先生でもあります。上から命令するのではなく、尊敬の念を持って接しました。
投資家向け広報(IR)の担当者と一緒に、ある投資家を訪問したときのことです。「コダックは株主還元に積極的だ。コダックを見習え」と言われたので、私は「業態転換のためには投資が必要だ」と反論しましたが、聞く耳を持ってくれません。
米国では企業の淘汰に抵抗感が小さいのに対し、日本は企業の永続性を重視します。考え方の大きな違いを感じました。12年にコダックが米連邦破産法の適用を申請した後、その投資家に再び考えを問いただしましたが「もちろん変わっていない」と言われました。
買収で増えた子会社をどう管理するかが課題になりました。そこで推進したのが、グループ各社で間接業務を共通化するシェアドサービスの取り組みです。例えば資金管理。手元資金が余っている会社から不足している会社に融通できれば、調達コストを削減できます。資金不足の実情と原因を把握できれば、改善のきっかけになります。
法務や物流、給与計算などにもシェアドサービスを広げ、帰国した後は日本でも同様の仕組みをつくりました。海外の最前線で取り組んだ経験が、今の経営の基盤になっています。
あのころ……
デジタルカメラが普及したことで、写真フィルムの市場は2000年をピークに縮小に転じる。年2~3割のペースで減少し、富士写真フイルム(当時)は本業消失の危機に直面した。06年に富士フイルムホールディングスに社名変更し、医療関連やインクジェットなどの事業を育てて業態転換を図っていった。