■1985年、30歳のときに英国の現地法人に赴任する。
入社以来ずっと経理部で働いていました。英語が話せず海外とは縁がないのだろうなと思っていたとき、青天の霹靂(へきれき)がありました。上司が突然、英国駐在を告げたのです。赴任当初こそ苦労しましたが、徐々に耳が慣れ、英国人社員のヒソヒソ話も聞き取れるようになりました。
英国では代理店を通して写真フィルムやカメラ、ビデオテープなどを販売していました。ただしそれではシェア拡大に限界があるため、徐々に直販体制に切り替えていきました。赴任当初は約40人の小所帯でしたが、直販の強化に伴い、91年に離任する頃には500人を超えました。
■営業兼務を志願。
当時は米イーストマン・コダックのブランド力は絶大でした。シェア拡大には英国市場を理解して、カスタマイズした製品を日本で開発してもらう必要があります。私の本業は経理でしたが、自ら手を挙げて英国人社員と一緒に医療用X線フィルムや映画フィルムの営業に出かけました。
顧客ニーズを日本に伝えるのが私の役割です。できあがった製品を持参し、「あなたのために開発した」と伝えると喜んでもらえ、契約につながりました。
営業は頑張れば成果が目に見えて上がり、のめり込みました。もっと営業に出かけたいと思い、上司に「経理の担当者を雇ってもいいですか」と聞くと怒られました。粘り強く説得したことで最後には納得してもらい、私が会計事務所の若手を口説くことになりました。彼は今でも当社の英国法人で働いています。