がん患者・遺族にレジリエンス治療 心の強さ呼び戻す
がんを告知され、ショックの中で治療に臨む患者らの心のケアとして「レジリエンス」の考え方が注目されている。患者の強みを伸ばして逆境を乗り越える力を引き出す精神医学の手法だ。がん治療分野では2016年に国内初の専門外来がつくられた。
東京都小平市の水戸部裕子さん(46)は18年5月、せきが止まらなくなり、近くの内科で検査しステージ4の肺腺がんが判明した。リンパ節にも転移し、医師から「根治はできない。手術も放射線治療もできない状態」と告げられた。
「私、死ぬんだな」。国立がん研究センター中央病院(東京・中央)に転院した水戸部さんは将来への希望が見いだせず、何事にも力が出ない。仕事も辞め、人と触れる機会が減り孤独を感じた。「男子2人の育児や仕事、家事に奮闘してきた。自分の体を省みず、突っ走ってきた結果なのか」と自身を責めた。
「このままではいけない」「諦めてはいけない」と思う時もあったが、気持ちは上向かなかった。今年1月、同病院の「レジリエンス外来」を知り、回復するきっかけを求め連絡をとった。
同外来の開設に携わった清水研医師(現がん研有明病院腫瘍精神科部長)によると、レジリエンスは「弾性力」「回復力」の意味。うつ病など心の負の問題を取り除く従来の治療と異なり、患者の強みなど心の健康的な部分や肯定的な変遷に焦点を当てるのが特徴だ。「レジリエンスは誰しもが持っている」(清水医師)
10年、20年先も健康に生きていくと思っていた人ががん患者になり、この前提が覆され、喪失感にさいなまれる。対話を通じて患者に新たな世界観を築いてもらい、残された人生をどう生きるか考えてもらう。
約1時間のカウンセリングを数回重ねる。まず患者自身の歴史を振り返る。「どういう家庭のもとでどのように育てられたか」「思春期はどのように過ごしたか」などを詳細に話してもらい、病気になる前に大切にしていた価値観も聞く。がんを患った後にどう感じ、気持ちや価値観がどう変わったかといった変化をひもといていく。
水戸部さんの場合、少し間違えただけでも怒る厳しい母のもとで育った。褒められた経験がなく自信を持つことができなかった。清水医師から「一生懸命やっているのに何で怒るんだろうね。頑張った自分をもっと褒めていいんじゃないか」と言われたことで心のわだかまりが取り除かれ、自信が持てるようになった。がん治療にも前向きになった。「自分と向き合う契機になり、これからどう生きていきたいのか考えられるようになった」。闘病を続けながらも「社会の役に立ちたい」と今夏、再就職を果たし、病気と向き合っている。
薬物療法などは原則行わないレジリエンス外来は、重いうつ症状がある場合などは対象外となる。国立がん研究センター中央病院では現在、レジリエンス外来を中断しているが、清水医師は移籍先のがん研有明病院で同外来を再び開設した。
がんで亡くなった患者の遺族を対象にレジリエンス治療を行うのは、埼玉医科大学国際医療センター(埼玉県日高市)精神腫瘍科の大西秀樹医師だ。同センターが設立された07年に開設した「遺族外来」に全国から患者が訪れる。
来院する患者の多くは「治療の選択を誤った」と後悔を口にする。大西医師はそれが標準治療で、間違った認識で後悔していることを伝える。故人との思い出が深い季節や場所によって感情が不安定になる「記念日反応」や、「新しい人生に進まないとだめ」などと周囲から励まされることは時に「役にたたない援助」だということも伝えている。
正しい知識を提供することを心がけ、「間違っているわけではない」「気にすることではない」と肯定しながら、レジリエンス向上を図る。大西医師は「数年かかっても、焦らず患者と向き合うことが重要だ」と話している。
精神医学の分野ではトラウマ体験を積極的に理解する「トラウマインフォームドケア」などもレジリエンスの考え方が基盤にあり、レジリエンスは根付きつつある。ただレジリエンス外来のように特化して実践する例は全国でも少ない。
比較的新しい概念で治療法が確立していない面もある。レジリエンス治療に詳しい東京大医学部の西大輔准教授は「現状の医療現場では十分な診察時間を確保することも容易ではない。レジリエンスに特化した治療を行う環境は未整備だ」と指摘している。
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「精神腫瘍医」の育成 道半ば
がんは身体だけでなく心にも重大な影響を及ぼす。がん患者の10~30%が適応障害を経験することがわかっているほか、がん告知後にうつ状態になる確率も5人に1人という研究もある。がん患者遺族も抑うつ的になりやすいとされる。
がんに関する専門的知識も備えた精神科医・心療内科医は精神腫瘍医(サイコオンコロジスト)と呼ばれる。がん患者やその家族が主な治療対象だ。日本では1995年、国立がん研究センター中央病院に全国に先駆けて「精神科」が開設され、その後、名称を「精神腫瘍科」に変更した。
全国に約400カ所整備されている「がん診療連携拠点病院」などには精神科医が配置されており、緩和ケアなどで精神的サポートを提供している。ただ日本サイコオンコロジー学会の登録医は12月時点で112人にとどまり、がん治療に精通した精神科医の育成は道半ばだ。がん研有明病院の清水研医師は「増えてきてはいるが、ニーズと比べるとまだまだ少ない」と話している。
(福田航大)
[日本経済新聞朝刊2020年12月21日付]
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