女優・秋吉久美子さん 亡き母にささげた花は学び
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の秋吉久美子さんだ。
――両親と妹の4人家族で育ちました。
「公務員の父は物知りで話すことが大好き。11人きょうだいの6番目だった母は、穏やかで家庭的だけど冒険心がある人。手打ちうどんやおやつなどの料理だけでなく、洋服を作るのも得意で、晩年はパソコンにも興味を持っていました。看護師として働いていた結核療養所で父と出会い、結婚後は四国や東北への転勤に付いていきました」
――お母様と秋吉さんはどのような関係でしたか。
「母と私は信頼し合っている親友のような関係でした。母に叱られたことは人生で2回。キュウリのお味噌汁をまずいと言ったときと、年長者に対して敬意を払わない言動をしたときです」
「幼稚園のとき、母が先生に呼ばれて、『どうしたら久美子ちゃんのような利発な子が育つのですか』と聞かれたことがありました。そのときから母は全面的に私を信頼するようになりました。学校に行きたくない日は仮病に付き合ってくれましたし、それまで良かった成績が中学で落ちても何も言われなかった」
――芸能界に入ったことも喜んでくれましたか。
「母は温かく見守ってくれましたが、手放しで喜んでいたわけではなさそうでした。それに気づいたのが、私が出演した映画が2つ同時に公開されたとき。『片方は見たけど、こちらで良かった?』と聞かれ、『両方見ないの?』と返したら、『私には私の時間の使い方があるから』と言われました。大学進学を望んでいたので、期待を裏切ったのかなと思いました。一方父は、私の記事を切り抜きするなど、大喜びの様子でした」
――芸能界でキャリアを積み2007年、53歳で早稲田大学大学院公共経営研究科に入学しました。
「父が亡くなり、3年9カ月後に母も亡くなったことが一つのきっかけになりました。芸能界で生きてきた私にとって大学院通いは素晴らしい経験でした。良い研究をして論文が書けるかは自分次第。他人を羨んだり足を引っ張ったりすることもなく、様々な年齢や立場の同級生と助け合い刺激を受けました」
「文明や宗教の調和を研究テーマにしました。神道、仏教、修験という3つの宗教が共存していた紀伊半島の熊野古道が世界遺産に登録されたことを論拠に、修士論文を書きました。芸能活動との両立は大変でしたが、学びたい気持ちは持ちながら経済的な事情から進学を諦めた母のことを思って、最後までやり遂げました」
――両親への供養という気持ちもあったのですね。
「立派なお葬式をするより故人が望んでいたことをすることが、恩返しになると思いました。両親、特に母にささげる花は私にとって『学び』だったのです」
[日本経済新聞夕刊2020年12月15日付]
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