作家・佐藤優さん 両親の教え「生き残るために教育」

さとう・まさる 1960年東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。「国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて-」で毎日出版文化賞特別賞受賞。「いま生きる『資本論』」など著書多数。
さとう・まさる 1960年東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。「国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて-」で毎日出版文化賞特別賞受賞。「いま生きる『資本論』」など著書多数。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は作家の佐藤優さんだ。

――どんなご両親でしたか。

「母は14歳のとき沖縄戦に遭遇して九死に一生を得ました。今振り返ると、その後の人生はある意味余生だったのだと思います。自分だけが生き残り、亡くなった友人や日本軍の兵隊たちなどにすまないという気持ちを一生持ち続けていました。戦争の影が非常に強く、その裏返しで平和への思いが強かったです」

「父は都立深川工業学校夜間部を卒業後、東京帝国大学工学部の研究室で実験のデータ取りの手伝いなどをしていました。東京大空襲に遭遇して生き残ったものの、研究どころでなくなり徴兵に取られました。おそらく父が乗ったのは中国大陸に渡る最後の船だったと思います。陸軍航空隊の通信兵でした」

――15歳の時、当時冷戦下の東欧一人旅を許してくれたそうですね。

「社会体制の違う国に行きたいと言ったらすんなりと認めてくれました。父は当時、富士銀行(現みずほ銀行)の技術職として働いていました。銀行は資本主義の象徴ともいえる組織です。だからこそ見ておいた方がいいと私に言いました。人間が暮らしている知らない世界を若いうちに見ておくのはいいことだと背中を押してくれました」

――教育が大切だと話されていたそうですね。

「2人とも戦争体験をしたことで、高等教育を受けることが必要だと言っていました。私の世代では、子どもにいいキャリアを歩ませるため教育を受けさせる家庭が多かったと思います。でも両親は生き残るためにこそ教育が必要だと訴えていました」

「具体的には国家の方針や世に発信される情報などが信用できないときにどう対処すべきか。ギリギリの状況に追い込まれたら、自分の頭で考えて判断を下せるよう学んでおきなさいというのが『生き残るため』の意味です」

「両親が亡くなってからは教育に関心を持って作家活動をするようになりました。生き残るための教育という考え方を後世に伝えなくてはならない、という思いを持ち続けています」

――大学院まで進まれたのも、ご両親の勧めですか。

「父は『お金があって向学心があったとしても、いつでも勉強できるわけではない』と話していました。やる気があってもある年齢になれば、就職したり家庭を持ったりして生活のリズムができてしまう。リズムを崩して高等教育を受けるのは非常に難しいと話していました」

「独学ではできない勉強もあるからと、両親とも大学に進学することを強く勧めました。大学院まで進学しても構わないとも言っていました。私の世代では珍しかったと思います。両親が全力で応援してくれたおかげで今日の私があります」

[日本経済新聞夕刊2020年12月8日付]


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