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三井化学のプラント工場

三井化学のプラント工場

■三井化学の橋本修社長(57)は、タイの新工場建設プロジェクトに参画する。

工場勤務や人事部などを経て、入社9年目の1995年に不織布事業部へ異動しました。様々な素材を手がける化学メーカーの中で、不織布は最終製品をイメージできる事業です。自分にとって新しい領域で事業経験を積みたいと考えており、異動の希望を出していました。

当時はアジア諸国の所得が向上し、不織布を使った紙おむつの需要が拡大していました。繊維メーカーが生産能力を増強していましたが、三井化学には大規模プラントの運営経験があります。旺盛な需要に応えるため、競合の4倍以上の能力を持つ不織布工場を建設することになりました。

最初は中国で検討しましたが投資に関する条件が厳しく、タイで生産する方向になりました。三井化学が衛生材料を海外生産するのは初めて。私はプロジェクト全体の進行を取りまとめる仕事を任されました。

■自分の足で現地を回り直接交渉。
はしもと・おさむ 87年(昭62年)北大法卒、三井石油化学工業(現三井化学)入社。18年取締役常務執行役員、19年取締役専務執行役員。20年から現職。東京都出身

はしもと・おさむ 87年(昭62年)北大法卒、三井石油化学工業(現三井化学)入社。18年取締役常務執行役員、19年取締役専務執行役員。20年から現職。東京都出身

衛生材料の工場なので異物混入は禁物です。強固な地盤や拡張余地、働く人の意識など立地選定には様々な条件がありました。ところが選定担当者がファクスで送ってきた候補地は、当社の石油化学工場付近の三角形の土地でした。

日本にいた本部長は「どうやって拡張するんだ」と激怒。その日のうちにタイに飛び、自分の目で確認するよう私に命じました。2週間かけて現地を回り、自動車工場が集積する盤石な土地を見つけました。

当社が求める条件を満たすには、タイの投資委員会からインセンティブを引き出す必要があります。そこで考えたのが、交渉の場面にあった「役者」を投入することです。当社ではなく、エンジニアリング会社や顧客メーカーの担当者が交渉した方がスムーズに進む場合もあります。試行錯誤を重ね、2年がかりで工場の建設が決まりました。

■タイでの経験が経営計画策定に生きる。

2000年に住友化学との経営統合構想が持ち上がり、その後、破談します。本社の経営企画部門に異動していた私は、単独で生き残るための新経営計画の策定に関わります。そこでの仕事に役立ったのが、自分の目で現場を確認して直接話すという、タイで身につけた習慣でした。

大事なのは自社のポジションを理解すること。そのためにはアナリストなど社外の第三者の視点が欠かせません。直接会って情報を得て、雰囲気を肌で感じることは貴重な経験になりました。そうした経験の蓄積は、人工知能(AI)などでは決して代替できません。

あのころ……

1990年代以降、アジア諸国の経済が発展して消費者の購買力が高まると不織布を使った紙おむつの需要が急増した。ユニ・チャームなどは新工場を相次ぎ建設し、紙おむつの現地生産を進めた。それに伴い、不織布を手掛ける繊維や化学メーカーの海外進出も活発になった。

[日本経済新聞朝刊 2020年12月8日付]

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